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歴史教育と性教育 [2005年3月]

歴史教育と性教育

自分のアンテナを巡回して、桜魂さんの所を見ていたらNIE関連の記事を発見。私も当初はNIEのことを書こうと思っていたのですが、それよりもすごいものを見つけたのでそちらをフィーチャリングします。

教科書情報資料センターのHPなのですが、出るわ出るわネタのオンパレード。
目移りして困るほどなのですが、とりあえず今日は、タイトルにあるように歴史と性について書いてみます。

まずは歴史サイドでは、小林よしのり氏絡みもしくは琉球大の高嶋伸欣先生のパートナーとしても名を馳せている上杉聰氏が「『あぶない』教科書を斬る」という所に寄稿している文章について取り上げます。

-----引用開始-----

「セクハラ教科書」

「つくる会」の歴史教科書を開いて仰天するのは、性の記述にあふれていることだ。
同教科書の中心的な執筆者である坂本多加雄氏は、かつて「慰安婦」問題を中学生の教科書に書く必要がない理由として、子どもの年齢から考えて「中学段階の歴史教科書に記載することへの疑念」があると述べつつ、教科書の記述には「全体としてバランス」が必要であるとしていた。そして、慰安婦問題をトイレの構造にたとえ、「トイレの構造の変化…(の記述)は、そうした日本史の必須の要件とはいえない」(共同通信1997年3月31日配信)と、バランスから外れる問題であるとしていた。ずいぶんなもの言いだ。
ところが、その彼も執筆に加わった「つくる会」の歴史教科書には、次のような記述が登場する。

アメノウズメの命(みこと)が、乳房をかき出して踊り、腰の衣のひもを陰部までおしさげたものだから、八百万の神はどっと大笑い」
(62ページ)

もしこんな箇所を、中学校の教室でひとたび朗読したら、女子生徒は、顔を赤くして黙り込むか、激しく怒り出すことだろう。社会科の先生には当然、女性もいる。これがセクシャルハラスメントにあたらないで何があたるだろうか

自分もかかわった教科書にこんな記述を平気で載せていることからみて、「中学生段階の…」という理由が、言い訳でしかないことがわかる。ほかにも同教科書には、「イザナキの命とイザナミの命の二神が性の交わりをして生まれた子供が淡路島…」(60ページ)という箇所や、江戸時代には、「家斉は40人の妾(めかけ)をもち、55人の子供がいた」(157ページ)という記述などが、何の脈絡もなく登場する。
 問題は、「つくる会」教科書が、「慰安婦」問題をまったく書かなかったことの裏側で、このように女性差別的な記述をいくらも載せていることだ。性的な表現に加えて「八百万の神はどっと大笑い」などには、女性の身体を辱める差別的な視線がある。「妾」の語もそうだ。彼らは、「慰安婦」を書くことが嫌なのではない。それらを人権侵害や差別と見るような考えが嫌(いや)なのであろう。
-----引用終了-----

ところで氏は、つくる会の藤岡信勝氏を批判する文章の中で次のように述べています。

-----引用開始-----
性に強制があってはならないこと、セクシャル・ハラスメントを行わない、また行わせない男女双方の意識を作り出していく、そうした観点に基づく広い意味の性教育は、なるべく早くから始められるべきではないだろうか。
-----引用終了-----

ところで、なるべく早くから始めるべき性教育についてですが、国会でも問題になったように小学生レベルから過激な性教育が行われているようです。

小学生用副読本の記述を少々引用してみましょう。

-----引用開始-----
男の人は,ペニスをバギナに入れて射精するのです。これを性交といいます。
(略)
さわってみましょう。ちょっとポツンとした感じのところがあって少し出ているでしょう。そこがクリトリスというところです。
(略)

絵でよくわからない人は,自分で鏡でうつしてみるといいですね。
(略)

ペニスがかたくなることがあるでしょう。しばらくすると,またもとにもどりますが,そのままさわっていると,やがていい気持ちになって,精液が飛び出ることがあります。

-----引用終了-----

 歴史教育と性教育とでは、自ずと趣きが異なるのでしょうが、↑はどうなんでしょうか?
上杉氏の表現を借りれば、まさに
「性の記述にあふれている」
というところでしょうか?あふれてるどころじゃないですけど。
彼が言うように早いうちから、性教育をこういう感じで受けた生徒達は、「性の記述にあふれている」歴史教科書を読んでも問題ないはずですよね?
それこそ、セクハラを起こさない、起こさせないために早いうちから性教育するのであれば。

ましてや、
女子生徒は、顔を赤くして黙り込むか、激しく怒り出す
とか、
セクシャルハラスメントにあたらないで何があたるだろうか
なんて心配はいらないと思いますけどね。

勿論、上杉氏がこういう性教育副読本をよしとしているかは定かではありませんけど。
ただ、いやしくも慰安婦問題などで、性に関して言及しているのであれば、しかも早期からの性教育を是認しているのであれば、こういう副読本の存在を知らないとは言えませんよね。

「八百万の神はどっと大笑い」などには、女性の身体を辱める差別的な視線

なんて、普通ズボン下ろそうとしてパンツまで一緒に下ろしたら、笑うんじゃないかな?
面白かったから笑った、それだけじゃないのかな。
それとも、女性が男から笑われればそれだけで蔑視になるのかな?

つくる会を非難する人へ
性描写で批判するのは止めた方がいいですよ。やぶへびになるから。

......................................................................................................................
追記(3/24)
弊記事をHiro-sanさん「ヒロさん日記」にて取り上げて頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
私は、歴史教育と性教育における表現の差異についてしか触れておりませんが、ヒロさん日記では、神話の側面から、一義的な解釈の不備と遡及することの愚かしさについて深い考察がなされております。是非ご覧になってください。

また、この下のコメント欄も併せてご覧下さい。


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神話を現代の人権で語る愚かさ

教科書情報資料センターは、おもしろいね。

神話はいろんな意味で「先祖の集合心理」であると同時に、シンボルであり、メタファーです。聖書でも「兄は悪者、弟はいい子」のストーリーはたくさんありますが、現代流に解釈したら差別じゃないですか。しかしこれは「先住民族(兄)」を「後からきた遊牧民族(弟)」が駆逐していくが、それを無意識のうちに肯定したいストーリーである、と解釈もできます。

「神話と左翼教科書」と題して、ヒロさん日記でもいつかやってみようかな。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/
by 神話を現代の人権で語る愚かさ (2005-03-23 23:52) 

FD3S

hiro-sanさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございました。
「神話を現代の人権で語る愚かさ」
ホントそうですね。また、
聖書では兄が悪ですか、賢兄愚弟の逆ですね。

>「先住民族(兄)」を「後からきた遊牧民族(弟)」が駆逐していくが、それを無意識のうちに肯定したいストーリーである、と解釈もできます。

史実という形で残すとまずいものを何らかの形で残すために物語にしたり、対象を美化したり神格化するためにフィクション化したりすることは有り得ることですね。

>「神話と左翼教科書」と題して、ヒロさん日記でもいつかやってみようかな。
エントリー熱烈に希望します。
by FD3S (2005-03-24 00:32) 

黄泉若宮

>>上杉聰氏
何処を見て話しているのだろうか。甚だ疑問だ。氏の中では果たして、神話と歴史と"今"の区別が就いているのだろうか。文学(*1)の「見方」も知らないのだろうが。
尤も記紀の何れかは存じないが、彼の意訳は批判するに値するであろう。(だが、「批判する方向が違う(*2)」と彼方の空(*3)を見ている者に言っても仕方ないのだろうね。)

*1:神話を文学と言うのは語弊がある。説明が億劫なので敢えて纏めるものである。
*2:記紀なら、「意訳までする必要は無い、書き下しで十分。」など。
*3:例えば、妾と呼んでいた事実と問題点を教えるのが歴史の教育でしょう。
by 黄泉若宮 (2005-03-24 05:45) 

Hiro-san

少々荒削りですが「アマテラス神話と人権侵害」をまとめました。
リンクは張りましたので、よろしく。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=975030
ヒロさん日記
by Hiro-san (2005-03-24 08:13) 

antonian

いやぁ、今度もすごいネタですね。
私はクリスチャンですが、聖書ネタもマジに受け止めたらすごいです。兄弟殺し、妾容認、男尊女卑の描写。なにより神の残虐なことといったら。ですから逐語的に読むと混乱するので、象徴や隠喩として読みますね。(教派によっては教義的な立場によって逐語的に読まれる方もいますが。)
このように宗教の培ってきた神話伝承を現代の視点で評価するというのは無知と無教養なだけです。神髄はそこにあるわけではなく、それを伝承してきた背景と精神性をまず考えなくてはならないし、当時の価値は今とは違うわけです。そして強気な寓意に込められたその民族の悲願や豊饒の表現に満ちあふれた民族の歓びなどの、そうした思いを汲み取らないとまずいわけです。どの国の神話も精神的に豊かであった先人の姿を教えてくれるものです。
ま、クリスチャンとしては前者の神話の問題より、どちらかというとジェンダー教育の方が眉をひそめたくなります。いやはやこのような倫理教育をするとは世も末です。
by antonian (2005-03-24 12:44) 

FD3S

マルチレスで失礼致します。

>黄泉若宮さん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
どこかきっと別のところを向いてるんでしょうけど、何かが問題だというのであれば、今と昔、史実と神話、分けるところはキチンと分けて考えて欲しいですね。
そういう主張するからその信憑性が乏しくなるですけどね。

>Hiro-sanさん
弊記事をリンク頂きまして、ありがとうございます。光栄です。
記事を読ませていただいて分かったのですが、科目はどうあれ、神話の成り立ちやその中に包含されている教訓などは、教育に取り入れられることが必要ですね。国際化社会というのであれば、尚のこと、自国、他国問わず宗教的な概念も神話もしっかりと身につけることは大切だと感じました。

>antonianさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
私は宗教的なバックボーンがないものですから、このエントリでは、単に主張の矛盾を取り上げてみたのですが、宗教的な側面を考慮するとその内面に触れずに字面だけで断じている時点でおかしいのですね。
幾星霜もの時を経た先人の教えには得る所も学ぶところも多くありそうですね。
また、こういう主張が奇妙なのは、神話や宗教的な記述について内面的な部分に触れないこともそうですが、仰るように現代の価値観をして過去の事項を平気で遡及してしまうことですね。
by FD3S (2005-03-24 17:11) 

枇杷

流石に凄いネタというか。
私もクリスチャンですが、ハッキリ言ってantonianさまの仰ることそのとおりだと。加えてギリシャ神話を取り上げたらゼウスがやりたい放題で凄いし、やたらと拉致や人殺しはあるし、神権・人権侵害だらけです。そんなんじゃファンタジーや様々な文学作品にまでけちをつけそうですね。
トールキン教授の「指輪物語」とかも『ドワーフとホビットとエルフと人間とモルドールの国の悪い種族があるなんてのは差別だ!』とか、「アーサー王物語」や「マクベス」とかも『残虐』&『女性への人権侵害』とかで没ですね。

全く、上杉先生もあまり強烈な毒電波を出さないで欲しいんですが…。
by 枇杷 (2005-03-24 19:52) 

FD3S

枇杷さん、いらしゃいませ。
コメントありがとうございます。
お。ロード・オブ・ザ・リングですね。ああいうファンタジーや多くの文学作品までとやかく言い出すようだと最早救いようがないですね。
ところで、映像の世界では、
テレビで昔の時代劇とかが流れると会話が不自然に飛ぶことがあります。
北野武氏が座頭一をするときも「めくら」という言葉の使用について相当クレームがあったそうです。時代劇にでてくる「よたか」も対象の的でしょうね。
このように、字面だけで鬼の首をとったように騒ぐのは、彼らにとってデフォルトな姿勢のかもしれません。どんなに論理矛盾を起こしていても。
by FD3S (2005-03-24 23:30) 

gakkun@プチセレブ♀

はっきり言って、私は神話って好きじゃないんですよね・・・。
ドロドロとしたファンタジーという感じがするので、特に子どもが読んでメリットがあるとは思えません。
昔の原始的な価値観をそのまま紹介すると、子どもが勘違いする恐れがありますし。
下品ですね、この描写は全体的に。
「さわってみましょう」とあるけど、別にさわらなくていいんじゃ?w
もっと他に言い方があるだろう?どんな価値観の奴が書いてるのか?と思います。
by gakkun@プチセレブ♀ (2005-03-25 05:45) 

Hiro-san

>ドロドロとしたファンタジーという感じがするので、特に子どもが読んでメリットがあるとは思えません。

何を選ぶのかによりますよ。「聖書」でも「ヨハネの黙示録」を小学生に教える必要はないと思います。小学低学年には、いわゆるおとぎ話、世界創造神話(この世が最初にどのようにできたのか)、聖人伝(愛の権化・化身たる神々・人々の物語)。子供が「自我意識」に目覚めにあわせて、「個性」を感じさせるような神々の物語.....。

「天の岩屋戸」は小学生向きではないでしょう、たぶん。オオクニヌシや因幡の白兎なら、どうですか?

>昔の原始的な価値観をそのまま紹介すると、子どもが勘違いする恐れがありますし。

大人の方が勘違いしているから、子供も勘違いするのです。「原始的な価値観」は子供の中にちゃんとあるのですよ。
by Hiro-san (2005-03-25 09:11) 

FD3S

gakkun@プチセレブ♀さん、いらっしゃいませ。
神話はその中に包含された内容を正確に伝えるのが難しいもので確かにあるでしょうね。記事内の歴史教科書で紹介されていることぐらいなら、特に問題はないかと思います。
その内容がどろどろしたものになるか、そうでないかは、勿論記述次第という側面もありますが、教える先生の資質にも大きく影響を受けるかなと思います。
いい教材も悪い教師が教えれば結果として悪いものになるし、逆に悪い教科書でもいい先生はうまく扱えばある程度いい結果を残せるのではないでしょうか。実は、先生の資質というのは、この教科書問題と同じぐらい重要な問題だと思っています。
ただ、性教育の記述は、先生の資質がどうという前に問題でしょうけど。
こういう性教育教科書を信奉するのは、一概にはいえませんが、ジェンダーフリーを推進するような価値観の人に多いようです。
by FD3S (2005-03-25 18:19) 

FD3S

Hiro-sanさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
神話の取り扱いは、ひょっとしたら歴史という科目ではない方がいいのかもしれませんね。
歴史的事項に大きく関わる部分は別として、それ以外は日本の神話だけではなくて、聖書の記述とか、マホメットの話とかを道徳的な感性や資質を涵養するために導入してみるのがいいのかもしれません。信仰の問題もあり、難しいかもしてませんが。ゆとり教育には是非がありますが、総合学習という時間の中でそういう取組みがなされてもいいのかもしれないなと思いました。
by FD3S (2005-03-25 18:25) 

antonian

神話が現代的感覚で逐語的に読まれてどろどろしてと捉えられてしまうことほど情けないものはありませんが、確かにその背景にある宗教教育は難しいでしょう。それに宗教教育までいくとやり過ぎとは思います。意志的にやりたいならば個々の家庭で行えばいいことです。
小学生等に教えるレベルでは民話のようなレベルに留める方がいいとは思いますね。それに「国作り」を教えたいならば確かにここまでの細かい記述のものは必要はないでしょうし。例えば「天岩戸」のような有名な物語は少年漫画のモチーフ(<「うる星やつら」に出て来た)にもなっておりますね。こういう物語があるというのを知らないのは日本の伝承や原風景を皆が共有出来ないということもあるでしょう。日本人としての教養として平易な訳のものを読ませる程度でもいいとは思うのですけれどね。外国に行くと日本の若い人が自国の文化を説明出来ないことに外国人は驚くそうです。例えばイタリアで、「イタリアに関してこんなに詳しい癖に何故自国のことを知らない。」と向こうの講師が驚いていた。と、留学していた友人が言っていました。自国を知らないというのは恥ずかしいことでもあるようです。
また「原始的な価値観を知ると勘違いする」というのはどうでしょうか。子供の頃、かなり色々な神話の絵本などを読みましたが、神話は神話。ファンタジーと割り切っていましたね。それに理不尽だと思う事は親に聞いたものです。カインとアベルの物語とか。えこひいきな神が許せませんでしたし、イサクの犠牲を求める神はなんて酷い奴だと思いましたよ。そんな否定的な感想でも、判断するということが大切なんだと思うのですよね。(まぁ、「陰部」の描写は流石に答えに困ることは予測はつくし、このストーリーの本質ではないから、穏当な表現ものを読ませるのがいいと思いますね。)
by antonian (2005-03-26 08:30) 

FD3S

antonianさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
民話、まさにそれです、私が言いたかったのは。
普遍的な教訓みたいなものは、情操教育として、ある程度の時間を割いてもいいと思います。そのために、神話や聖書などからエピソード的にピックアップするという感じで。

>自国を知らないというのは恥ずかしいことでもあるようです。

これは非常に共感します。私自身、自分の言葉でどこまでちゃんと語ることができるか甚だ怪しいのですが、己の美醜を知らずして、人の美醜を言うなかれという感じでしょうか。
国際化社会という言葉が溢れていますが、それはやはり自国を知っていること、と言うか自分が何者であるか認識していることが前提のような気がします。
そういう意味でも、教育の場でも、この国はどういう国なのかという観点からの教育が為されてもいいように思います。

原始的な価値観についてgakkunさんが仰ったのは、そういうものをそのまま紹介することに対しての懸念ですから、その紹介の仕方が大切なんだろうと思います。ものによっては、字面的にも、内容的にもディープなものもありますから。

ですから、そういう点に考慮したならば、あとは徒に大人の価値観を刷り込むのではなく、子供の自然な感性に委ねるのが言いと思います。
そのときに、もし子供が誤解や勘違いをしているようであれば、それとなく諭すことができる大人がいればいいのかなと思います。

そういう行ったり来たりを繰り返しながら、自立した価値観が形成できればいいんだろうなと思います。勿論、度を越したような描写は問題外でしょうが。
by FD3S (2005-03-26 12:25) 

枇杷

「まんが日本昔ばなし」の世界からはじめては、とふと思ったんですが、
違いますか?あの番組がなくなったのが残念だとつくづく思います。

http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/hakken/01_minwa/01_mizusawa.html
>故 水沢謙一氏の功績
 ↑
余談ですが、小学校の頃の教頭先生だったんです。
by 枇杷 (2005-03-26 14:42) 

FD3S

枇杷さん、いらっしゃいませ。
コメントどうもありがとうございます。
坊や~良い子でねんねしなぁ~♪ですね。
あれはいい番組でしたよね。笑える話から、怖い話まで、アニメもおかしい感じのものかたシリアスタッチのものまで。
よく、2人で声を使い分けてたなと思います。
私にとって、市原悦子さんは、家政婦よりもまんが日本昔ばなしの人ですから。
小学生の頃は、図書館で学研?のまんがの伝記をよく借りてみてました。
厳密なものではなかったのでしょうが、日本武尊から伊藤博文あたりまで読んだ気がします。
授業の科目よりももっと、気軽な感じで楽しめるものから親しんでいくのが自然かもしれませんね。
by FD3S (2005-03-26 15:43) 

黄泉若宮

歴史は歴史。倫理は倫理。
混ぜるな危險。
by 黄泉若宮 (2005-03-26 18:23) 

FD3S

黄泉若宮さん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
まさにワンセンテンスキラーとでもいいましょうか。
「混ぜるな危険」
そのものズバリです。う~ん、ごっちゃになってました。
神話を取り扱うにしても、道徳的な教訓みたいなものは倫理
国の成り立ちや文明・文化については歴史、
その峻別が大切ですね。もちろん、和集合みたいな重なるところは
あるでしょうけど。
by FD3S (2005-03-26 21:30) 

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