もういいよ、朝日新聞 [2005年4月]
もういいよ、朝日新聞
昨日の宇宙市民の宇宙市民による宇宙市民ためのアナーキー憲法案のニュースだけでもかなり、げんなりしているのに、朝日新聞の社説にもまた出ていました(泣
それでは引用をば。
asahi.com :朝日新聞今日の朝刊-社説
自民改憲案 国家主義の地金が出た自民党の憲法改正案の土台となる報告が出そろった。9条や天皇制、人権など、分野別に議論を重ねてきた新憲法起草委員会の10の小委員会の要綱がまとまった。 焦点だった自衛隊の扱いでは「自衛軍を保持する」と明記し、軍隊と位置づける方針をはっきりと打ち出した。
結党の1955年から改憲を掲げてきた自民党である。その主張には「復古主義」との批判がつきまとってきた。その点で、要綱を読んでみると、新しい工夫も見られるのは事実だ。
戦後憲法の基本理念である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義は継承すると明言した。国民の知る権利、環境権など新しい人権の必要性もちゃんと盛り込み、時代の要請に応えようとしている。
だが、やはり自民党に刷り込まれたDNAは争えないのだろう。
歴史や文化、愛国心を前文に書き、主体的に定める憲法であると宣言する。国民に国防の責務があるとうたう。公の秩序を理由に表現の自由を制限する。
自民党の憲法批判ではおなじみの、伝統的なテーマばかりだ。個人の権利意識ばかりが幅をきかせ、公や国家がないがしろにされてきたという、戦後民主主義への反発が浮かび上がる。
これでは、戦前への回帰志向が強かった結党時とあまり変わらない。国家主義の地金が出たということか。
党内には、保守の独自性を発揮したい理念派と、憲法改正に必要な3分の2の多数を得るのに、他の政党への歩み寄りが必要だとする現実派との対立がある。
しかし、だからといって、復古調を新しい人権規定でまぶすような手法はごまかしではないか。ことは憲法とは何かという理念の問題だ。
近代国家の憲法は、個人の自由と権利を保障するために国家権力をしばるルールとして生まれてきた。これに対して自民党の改憲案は、多数者の側、国家の側から統治しやすいルールを織り込みたいという立場が色濃い。
こんな考え方には、民主党や連立パートナーである公明党も批判的だ。公明党の太田昭宏幹事長代行は「個人の尊重なしに公を求めても意味をなさない」と述べている。
自衛隊を自衛軍にするという提案には賛成できない。
たしかに自衛隊は装備や能力において世界有数の存在となり、海外では軍隊と同様に見られている。国民の意識の中にも、合憲の存在として定着してきた。
だが国民が受け入れ、評価したのは、普通の軍隊との違いを鮮明にし、海外で武力行使はしないという厳しい原則に立つ自衛隊だ。自衛隊が自衛隊であるから、といっていい。
そのことがアジア諸国との関係を安定化させ、米国との軍事的な協力関係においても一定の歯止めとなってきた。
それを忘れて国民の理解を得られるとは、とても思えない。
いちいち、突っ込むのどうかとは思いますが、何か書かないとストレスが溜まるばっかりなので、ツッコミます。
その主張には「復古主義」との批判がつきまとってきた。
憲法批判ではおなじみの、伝統的なテーマ
復古調を新しい人権規定でまぶすような手法はごまかしではないか。
復古主義がお好みのようで、何度も使っていますね。「憲法批判でおなじみの」とか「批判がつきまとう」とか朝日では「おなじみ」のフレーズですね。私も高校出るまで、読んでましたからね、しかも信じてましたからね、覚えてますよ~。
復古主義的な部分が全くないとは言いませんが、「ごまかし」などと朝日新聞に言われたくはないですね。
歴史や文化、愛国心を前文に書き、主体的に定める憲法であると宣言する。国民に国防の責務があるとうたう。公の秩序を理由に表現の自由を制限する。
個人の権利意識ばかりが幅をきかせ、公や国家がないがしろにされてきたという、戦後民主主義への反発
歴史や文化そして国を想うというのは、そんなに悪いことですかねぇ。日本のように連綿とした歴史や文化や伝統を持つ国は世界的にも稀有な存在ですよ。
それを大切にすることは何も悪いことではないでしょう。
仮に日本が戦火に巻き込まれたときに、この国にいるものとして、何らかの責任は生じるのも当然ではありませんか?それとも黙って攻められるがままでいいの?
表現の自由を著しく制限するいうのであれば私も反対しますが、他人の権利を侵しても平然としている常識や節度を知らない人間が行う自侭で無秩序な表現の自由は、現憲法でも認められていません。そのレベルなら問題ないでしょう。
尤も
個人の権利意識ばかりが幅をきかせ、公や国家がないがしろに
してきた宇宙市民の方々にとっては危機的なことかもしれませんが。
民主党や連立パートナーである公明党も批判的
彼らが否定したという意見もある程度考慮する必要があるとは思いますが、彼らが反対しているいうことと、内容が悪いということは同義ではないでしょう。
個人の尊重なしに公を求めても意味をなさない
それは当然のことですが、逆に公や国の存立基盤が確固たるものでなければ個人の尊重をはかることは出来ないということもちゃんと考えなければなりません。
多数者の側、国家の側から統治しやすいルールを織り込みたいという立場が色濃い。
朝日は、多数者の側=国家の側を批判していますが、多数者の意見を統治する側の国と同列におくというのはどういうことでしょうか?
普通なら、国民対国家権力という構図になりそうなもんですが、そうでないというのは、上の主語を「少数者の側」に変えると良く分かります。
少数者の側から統治しやすいルールを織り込みたいという立場が色濃い。
つまり、彼らの主張は「少数者優遇」という意図を持って書かれており、その立場から見れば、多数の国民も国家権力も「敵」ということなのでしょう。
誰もが等しく権利を享受するということを考えれば少数者の意見を排除するということはあってはなりませんが、多数者よりも少数者を優遇すれば、決して公平にはなりません。
国民の意識の中にも、合憲の存在として定着してきた。
評価したのは、普通の軍隊との違いを鮮明にし、海外で武力行使はしないという厳しい原則に立つ自衛隊だ。
アジア諸国との関係を安定化させ、米国との軍事的な協力関係においても一定の歯止め
自衛隊について、
いつも違憲・違憲と言っていませんでした?
評価したことあったっけ?
市民ボランティアでもできるとか言ってなかったっけ?
アジア諸国って、正確さにかけますね、せめてアジア極東3国とか書いてほしいなぁ。
それは措いといて、自衛隊と日米安保によってアジア諸国の安定化に寄与したこと認めるんだ!すごい、わかってきたじゃない朝日新聞。
批判するためには、過去のスタンス※も忘れるとは、素晴らしく「ぐだぐだ」です。
※ここでは、戦後の反体制的なスタンスを指します。
(黄泉若宮様がコメント欄でご指摘下さいましたので追記させて頂きました。)
最後に、朝日新聞記事のうち下線部を下記のとおり訂正します。
だが、やはり自民党に刷り込まれたDNAは争えないのだろう。
誤)自民党 → 正)朝日新聞
国家主義の地金が出たということか。
誤)国家主義 → 正)宇宙市民主義
それを忘れて国民の理解を得られるとは、とても思えない。
誤)国民 → 正)宇宙市民
過去のstanceを云へば。朝日新聞は大東亞戰爭万歳でしたが……。
by 黄泉若宮 (2005-04-06 02:00)
黄泉若宮さん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
戦前は確かに戦意高揚記事ばかり載せていたそうですから、
少々舌足らずでした。
とりあえず、GHQにきついお灸をすえられた後ということで宜しくお願いします。
by FD3S (2005-04-06 02:20)
連続の電波にたいする突っ込みお疲れ様です。
朝日は日本の憲法をどうしたいのでしょう?
by てっちん (2005-04-06 12:21)
てっちんさん、いらっしゃいませ。
コメントどうもありがとうございます。
連日の香ばしい記事に食傷気味なのですが、
突っ込んでみました。実は今日の社説も2つともネタ価値の高い内容で
マジで消化不良になりそうです(笑
>朝日は日本の憲法をどうしたいのでしょう?
宇宙市民憲法みたいにしたいんではないでしょうか?
でも無政府状態になれば、反体制新聞の存在意義はなくなるんですけどねぇ。
by FD3S (2005-04-06 12:57)
あいかわらず、朝日はぐだぐだですね。
自衛隊⇒自衛軍 名前が変わっただけで大騒ぎしすぎ!
でも、「責務」については、「憲法で規定するものじゃないだろ」と思いますので、朝日のいうことも一理あるかな? なんて思います。
by ko-ba-ber (2005-04-07 21:23)
ko-ba-berさん、いらっしゃいませ。
コメント&T/Bありがとうございました。
国民の義務は個々の法律によって規定されるのですから確かに憲法に書かれていなくても問題はないんですけどね。
現憲法が制定された頃は、権利と義務というものが国民の中に浸透していなかっただろうために、敢えて記述したのかなと思います。
ただ、市民団体の草案をよしとする彼らにしてみれば、憲法中の義務の記述の是非ではなく、義務そのものを否定しているようにも思えますからダメダメです。天皇制を否定するような感覚ではないでしょうか?
by FD3S (2005-04-07 23:12)