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国旗・国歌と宗教(前編) [2005年5月]

国旗・国歌と宗教(前編)

何だかんだで、もう次の金曜日になりましたが、折角買ったので週刊金曜日から素晴らしい、記事をご紹介したいと思います。

「苦情の会」会員の方は必読です(笑)。

「信仰の自由」はどこに?
~憲法と学校と「日の丸・君が代」


「日の丸」「君が代」を拒む理由は人さまざま(←原文ママ)。信仰心を持つ高校生が教師に打ち明けたのは、「学校で強いられる」ことの苦しみそのものだった。「愛国心」うんぬんとは次元が異なる。けれどだからこそ、かって問題の本質がむき出しになって見える。

「みんなには歌う・歌わないの自由があります」
A高校(北海道立)の式典でも、会場の体育館に「日の丸」を掲揚し、「君が代」を歌っている。けれど数年前から、定時制過程に限ってだが、職員会議で議論を重ねて、式典前に学校側が生徒たちに

「みんなには(国旗に向かって)立つ・立たないの自由、(国歌)を歌う・歌わないの自由があります」などど憲法上の権利について解説することを始めた。強まる一方のおかみのプレッシャーの中、勇気のある画期的な取組みといえるだろう。

(略)

同校に勤務するB教諭(30歳代)は、憲法や人権について関心が深い(原文ママ)。この夜、生徒たちの前に立ったB教諭は、約10分かけてこんなふうに話したという。

「憲法19条は、思想及び良心の自由を侵してはならないと定めています。」

「私たち公務員が、特定の価値だけをみんなに押し付けたり、みんなの心の中の考え方を大勢の前で露見させたりする行為は禁じられているんです」

「来週の卒業式では、みんなが着席している時に『君が代』が流れますが、みんなには、起立する・しないの自由、歌う・歌わない自由があります」

「ただし、面倒だから立たない、歌わないというのは、権利の行使ではなく濫用と言います。どう行動するかは、みなさんの良識に委ねます」

その夜の放課後、一人の2年生がB教諭の席に相談に来た。

<ぼくは卒業式は休むから>、と言うんです。
<そしたら欠席扱いになりますか>、と聞くので、
<仕事の都合で休むんだったら欠席だよ>と答えたんですけど、よく聞いてみたら、信仰の問題だと分かった(以上B教諭談)

その生徒、C君(17歳)は、ホームルームでB教諭が話した「信教の自由」という言葉をよすがに、それまで周囲に積極的には明かしていなかった自分の信仰について、思い切ってB教諭に告白したのだった。


朝日新聞などの論の運び方でも分かるように、得てして、冒頭部分はそこまで電波を発しません。それでも↑の通りですが・・・・。

この筆者は、フリーランスのジャーナリストで平田剛士さんと言う人です。

まずは、色々な人がいるとか十人十色だとか言うときは、「人それぞれ」であり、「人さまざま」とはあまり言わないかと思います。
「人の考え(思想など)はさまざま」と使うことはあるでしょうが・・・・。

>「愛国心」うんぬんとは次元が異なる。 

これはその通りです。尤も、この方は一般論として国旗・国歌問題を「愛国心」の問題から嫌悪しているようなので、その時点で普通の人の感覚とは「次元」が違うのですが。

>「みんなには(国旗に向かって)立つ・立たないの自由、(国歌)を歌う・歌わないの自由があります」などど憲法上の権利について解説

私はこういうことを説明したり、解説したりする必要などないと思います。従いたくないと思う自由はあっても、それを行動に移す自由は憲法の保障するところではないと思うからです。

例えば、会社には就業規則がありますが、従いたくないと思って実際に行動に移したらどうなるでしょう。その行動にもよりますが、最悪の場合、解雇に相当する事だってあります。

学校の場合、生徒は教えを請う立場であり、学校の規則に従うのは当然のことです。たとえ、意に染まぬことであったとしても。自由を行使する場を弁えない行為は、「我儘」以外のものではありません。

>強まる一方のおかみのプレッシャーの中、勇気のある画期的な取組み

「おかみ」が嫌いだからって言うけどさ、常識の範囲のことさえできないバカが一杯いるから「きまり」になったことを考えないとねぇ。
こんなことは「勇気」とは言わず「蛮行」といいます。たとえ、どんだけ屁理屈捏ねてもね。

>B教諭(30歳代)は、憲法や人権について関心が深い

「関心」は高低で表現するものではなかったでしょうか?「深い」としたければ「造詣」ではないかなぁ。

>「憲法19条は、思想及び良心の自由を侵してはならないと定めています。」

>「私たち公務員が、特定の価値だけをみんなに押し付けたり、みんなの心の中の考え方を大勢の前で露見させたりする行為は禁じられているんです」

>「来週の卒業式では、みんなが着席している時に『君が代』が流れますが、みんなには、起立する・しないの自由、歌う・歌わない自由があります」

>「ただし、面倒だから立たない、歌わないというのは、権利の行使ではなく濫用と言います。どう行動するかは、みなさんの良識に委ねます」

↑は、憲法や人権に関心が「深い」B教諭のお言葉です。関心は高くても造詣は深くないように思えるのは気のせいでしょうか。

1番目と2番目の文章はごもっともな正しい意見です。しかし、3番目はどうでしょうか?

「起立したくない」や「歌いたくない」と思うことは、それこそ憲法の規定に合致するものでしょう。「起立したいと思え」とか「歌いたいと思え」なんて言うわけにはいきませんからね。
ただ、そう思うことと、それを行為で表すことには、大きな隔たりがあります。
この問題に抗う人達は、法律で縛ることを問題にしますが、そもそも「アタリマエ」のことを子供達に伝授すべき教員の中に、その「アタリマエ」のことすらできないほど劣化した人間が看過できないほどいることこそ、問題なのです。

法律で縛らなければ、「アタリマエ」のことができないと思われていることを恥ずかしいと思えない人達には、きまりを守るという概念がないと言っても過言ではありません。思想がどうあれ、きまりを守らないことが問題なのです。これが罷り通れば、嫌なきまりは守らないでもいいという無法者を社会が許容しなくてはなりません。極論すれば、テロリストの言い分を認めろと言うに等しいことです。

最後の文は、一見まっとうにも見えますが、良識に委ねた結果、不起立や不斉唱があったとき、どうやってそれを権利の行使か濫用かの区別をするのでしょうか?心の中で「面倒だ」と思っても権利の行使ですと言えば、どうすることもできなくなります。こういうのは、かかる教員達の卑怯な言い分でしかありません。

>信仰の問題だと分かった

>「信教の自由」という言葉をよすがに、それまで周囲に積極的には明かしていなかった自分の信仰について、思い切ってB教諭に告白

信仰の問題と国旗・国歌という新しいジャンルです。宗教の教えは、この世のルールを凌駕できるのか?

その緊迫したやりとりは、次のエントリで取り上げたいと思います(別に勿体つけているわけではありません。テキスト化するのに時間がかかるだけですのでご了承下さい)。

その後半では信教の自由を理由に国旗・国歌に反対するC君の言い訳とそれに加担するB教諭、それを諭すD校長が登場します。

乞うご期待!


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EyesOnly

私の中学時代にもうじゃうじゃいました。勤務時間に「自由」と「権利」を履き違えた自らの低劣な思想とやらを強いる「教諭」が。
by EyesOnly (2005-05-27 23:40) 

てっちん

私の中ではこの”国旗掲揚・君が代の斉唱”の問題って、教える立場であるはずの教師が駄々こねてみっともない姿をさらしていると言う認識なんですがねえ。
>憲法上の権利について解説することを始めた。
ちゃんと義務については教えてるのか不安です。
by てっちん (2005-05-28 01:11) 

あんとに庵

結局、天皇制批判でしょう。ならば堂々とそこを批判すればよい。
しかしそこを批判しないで、世界的に見ても当然である「自国の国旗や国家への敬意」を否定するというせこさにあきれるのです。
by あんとに庵 (2005-05-28 01:14) 

FD3S

yasu-oさん、いらっしゃいませ!
コメント+nice!どうもありがとうございます。

そうですか。私が中学の頃(20年ぐらい前ですが)には、なかったような気がします。気づいてなかっただけかもしれませんが・・・。

私はどちらかと言えば、いい先生に恵まれていたのかもしれませんね。
同級生にもそれら恩師の影響で教師になり、奮闘しているものもいます。身近に頑張っている教師がいることを知っているだけに、こういう手合いは許せません。そもそも、子供を出し※にしてるのが気に食わないです。
※ずっと「山車」と書いてましたが正確には、出し、出汁でした。

yasu-oさんの写真でかなり癒されています。感謝しております。
by FD3S (2005-05-28 03:22) 

FD3S

てっちんさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>私の中ではこの”国旗掲揚・君が代の斉唱”の問題って、教える立場であるはずの教師が駄々こねてみっともない姿をさらしていると言う認識なんですがねえ。

後半をお読み下さい。結局、教員達のイデオロギーのために生徒を出しにしているだけですから。

>>憲法上の権利について解説することを始めた。
>ちゃんと義務については教えてるのか不安です。

教えてなさそうですよね。教えてないに、100万キミガヨ!
by FD3S (2005-05-28 03:24) 

FD3S

あんとに庵さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。
最近実生活もネットも引きこもり気味でした・・・。

>結局、天皇制批判でしょう。ならば堂々とそこを批判すればよい。しかしそこを批判しないで、世界的に見ても当然である「自国の国旗や国家への敬意」を否定するというせこさにあきれるのです。

そう、せこさはサヨクの専売特許ですといわんばかりです。それだけ、主張に自信がないことの証左でしょう。普通なら、そこで考えを改めるものなんですが、彼らには、稚拙なせこさとは別に信じられないほどの「しつこさ」がありますからねぇ。中身ではなく、その姿勢だけは感服します。

もっと、頭を使えば、こんなしつこくしなくてももう少し支持されるのでしょうけどね。彼らは、マイノリティであることにこそ、誇りを持っているのかもしれませんね。であれば、多くの人が賛同できるような主張をしないことも納得できます。
by FD3S (2005-05-28 03:30) 

黄泉若宮

国歌・国旗が信教の自由を害すると云ふ前提が間違ってゐるのは言及しないのでせうか。あと後編の後半、単なる罵倒が混じってゐますよ。

と云ふか、A 校の教員、面白過ぎます。2番煎じ出すかも。(と、迂闊なことを書いて、寝る。)
蛇足ですが、関心が「深い」 = 「極めて(?)低い」のでせう。詰めで論が崩れるのが証拠でせうかね。
by 黄泉若宮 (2005-05-29 01:48) 

FD3S

黄泉若宮さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>国歌・国旗が信教の自由を害すると云ふ前提が間違ってゐるのは言及しないのでせうか。

全体を読み直してみたら、確かに抜けていました。一番重要なポイントですね。
どういう宗教を信じるのかを国旗・国歌の存在が制限しているのではないのですから、信教の自由を侵していることにはなりませんよね。
仮に国旗・国歌が宗教的な側面を持つとしても、それを信奉することもまた自由であることを考えれば、彼らの主張が如何に一方的なのかが鮮明になります。

>あと後編の後半、単なる罵倒が混じってゐますよ。

読み直して、我ながら直情的過ぎるなと思いました。勢いで書く前に深呼吸と書いたあとの推敲が疎かになると、ダメですね。ご指摘を胸に刻んで論理的考察に努めたいと思います。

>2番煎じ出すかも。
いやぁ、勘弁願いたいですね。こういうのが恒常的に出てくると大変です。
by FD3S (2005-05-29 10:51) 

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