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国旗・国歌と宗教(後編) [2005年5月]

国旗・国歌と宗教(後編)

先のエントリの続きです。週刊金曜日の当該記事から引用します。

「信仰の自由」はどこに?
憲法と学校と「日の丸・君が代」


「歌が聞こえるのも耐えられない」

C君に会った。
(彼は)よく知られる教団名を挙げて、自分はその上位ランクの信者を目指している立場です、と教えてくれた。
この教団は一神教。ほかの対象(たとえば国旗・国歌)をあがめることが自分には耐えられない、とC君は言う。

「(学校での国旗や国歌について)小中生のころは気にならなかったですけど、いまはかなりツライですね。国歌だけじゃなくて、校歌とかも歌いたくないんです、ほんとは。『日の丸』は目をつむれば見ずに済むけど、『君が代』のほうは耳を塞いでも聞こえてきちゃうから。それに、ただ見なきゃいい、聞かなければいいという問題でもないです。そもそも、国旗が飾ってあって、国歌が流れるような場所にいたくないわけで・・・・・」

二年後の自分の卒業式には出席して、クラスメートや家族達と喜び合いたい気持ちは、ほかの生徒と変らない。けれど、そんな当たり前の希望も今のままではかないそうもない。

でも、本当に憲法が「信仰の自由」を保障しているなら、自分が卒業式に出席できない理由は実は学校側にある、と言えるんじゃないか。B先生はホームルームで「学習指導要領はあくまで大綱で、法的拘束力はない」と言っていた。なのに学校は会場に国旗をかかげ、国歌を流す。それさえなければ出席できるのに・・・・。

相談を受けたB教諭は、生徒の名や宗教は伏せたまま職員会議で事情を話し、卒業式で「君が代」を中止しようと提案したが、式次第の変更は認められなかった。C君は今年の卒業式は休んだ。出席簿には「欠席」の記録が残った。

校長は「直接説明したい」

D校長は、
「(C君の信仰教団が)偶像崇拝(を禁じている)というのは、私は今回初めて知りました」と困惑を隠さない。
「これまで何人か、同じ教団の生徒を受け持った経験もありますが、入学式や卒業式に出られないというこよはなかった」。

A高校定時制課程では、ホームルームだけでなく、儀式前日の予行演習(←原文ママ)でも学校側学校側が再度、「憲法上の権利」を解説している。
D校長自らが全校生徒に(立つ・立たない、歌う・歌わないの行為が原因で)差別や偏見が起こってしまった場合には、私の職と身分にかけて、責任をとりたいと考えていますから、みなさんご安心くださいと読み上げたという。

広島県教育委員会は今春、各校に卒業式や入学式での「君が代」の声量や起立・不起立数を報告させ、「服務違反」職員処分の資料にした(『朝日新聞』今年4月13日付)。そんな風潮に比べたら、A高校ははるかにまともだ。だからこそC君も思い切って悩みを告白できた。

とはいえ、D校長は儀式前の憲法解説が精一杯だったようだ「学校で実施する国歌や国旗は偶像には当たらない、宗教に抵触することはないと考えています。それをこの生徒や保護者に私から直接、説明したいんですが・・・・」。

この考えをB教諭から伝え聞いたC君は、「(『君が代』を我慢しなさいとの)説得を聞くのは耐えられない」と、D校長との面会を拒んでいる。

生徒の人権をどう守る?

「君が代・日の丸」を巡る論点は複雑だ。教育委員会が「実施」にこだわればこだわるほど、拒否する教員たちも反発を強める。そんな様子を校外から眺めていると、両者が「君が代」や「日の丸」をまるで労使闘争の象徴のように利用していると見えることもある。

けれどC君のケースでは、歌の「歴史性」などは関係ない。「強いられること」が問題なのだ。
C君の立場を擁護する同校の別の40代の教師は「教委対組合というふうに、『日の丸・君が代』はこれまでは教職員の問題でしかなかった。でも今回、問題の本質は子ども(←原文ママ)の人権を守れるかどうかだ、とういうことに改めて気づかされた。」と話す。
「信仰のことはバックアップできません。というか、学校も教師も生徒のそういう心の奥深いところをほじくるべきではない。ただ、このままだと彼は行き場がない。とすれば、学校側が変るほかないと思う」

せめて、耳を塞いでも聞こえてしまう「君が代」だけでもやめて欲しい。
偶像崇拝を禁じる宗教は多い。同じ悩みの生徒や保護者は少なくないのではないか。
「さまざまな価値観の生徒が通えるのが公立学校でしょう?生徒の願いを叶えるのが本来の姿のはず。こんな簡単なことをどうしてできないのか・・・・」
とB教諭

北海道教育委員会はD校長に対して、「学習指導要領の通り、適切に対応してください」とだけ指示してきているという。

卒業式を欠席扱いにされたC君は今、その取消しをD校長に勧告するよう札幌弁護士会人権擁護委員会に求める「人権救済申し立て」の手続きを進めている。


どうですか?後半の盛上がりはすごいでしょう。殆どBOLDになってしましました。

>ほかの対象(たとえば国旗・国歌)をあがめることが自分には耐えられない

一神教の宗教を信仰していることは、問題ではありません。彼が拝火教を信仰しようが、ブーズー教を信仰しようが、それを誰かが制限することがあってはなりません。それが信教の自由でしょう。
ところで、国旗や国歌はいつから、「邪神」になったのでしょうか?これは偶像に相当するのでしょうか?

>国歌だけじゃなくて、校歌とかも歌いたくないんです、ほんとは。『日の丸』は目をつむれば見ずに済むけど、『君が代』のほうは耳を塞いでも聞こえてきちゃうから。

>それに、ただ見なきゃいい、聞かなければいいという問題でもないです。そもそも、国旗が飾ってあって、国歌が流れるような場所にいたくないわけで・・・・・

単なるバカの戯言。それ以上でも以下でもないでしょう。教育をキチンとしないと物の分別すらできない、善悪の区別すらできないこんなバカが量産されるのです。結局欠席したのだから、ずっと欠席すればいいのに、こんなバカげたガキの屁理屈にすがらないと国旗・国歌反対を主張できないとは、サヨクは本気でバカですね。哀れというか愚かというか。

>当たり前の希望も今のままではかないそうもない。

いいんじゃないの?こんなバカガキなんて放ってけば。学を修めることよりも宗教でのランクアップしか興味なさそうだし、思慮分別ないんだから。

>本当に憲法が「信仰の自由」を保障しているなら、自分が卒業式に出席できない理由は実は学校側にある、と言えるんじゃないか。

>「学習指導要領はあくまで大綱で、法的拘束力はない」と言っていた。なのに学校は会場に国旗をかかげ、国歌を流す。それさえなければ出席できる

学校側にある、わきゃねーだろ。このヴォケ!卒業式に出ないオメェーに問題があるんだよ(ってわざわざ買った週間金曜日の記事で沸騰する私はマゾでしょうか?)。

法的拘束力はない、と判断した地裁判決はあったようですが、そもそもマナーやモラルみたいなレベルでしかないことを法的に拘束すること自体が異常だということに、このおバカなC君には理解できないのでしょうから、仕方のないことかもしれませんね。

>卒業式で「君が代」を中止しようと提案した

たった、一人の生徒の我儘のために式次第を変更しようとする、憲法や人権に関心が「深い」B教諭こそ、諸悪の根源かもしれませんね。C君のように、無知で無分別な生徒がいるのは。恐らくこのB教諭自身が国旗・国歌に反対の立場なのでしょうね。子供を山車にするのは、サヨクの常套手段ですからね。

>C君は今年の卒業式は休んだ。出席簿には「欠席」の記録が残った。

休んだから、欠席。それ以上でも以下でもないでしょう?それを出席にせよと?前半にありましたが、仕事の都合で休めば欠席で、宗教上の理由で休むのは欠席ではないというのでしょうか。

>「(C君の信仰教団が)偶像崇拝(を禁じている)というのは、私は今回初めて知りました」と困惑を隠さない。

だからさ、偶像崇拝を禁止してることと、国旗・国歌はまるで異次元だろうが。困惑するなよ校長先生。

>A高校定時制課程では、ホームルームだけでなく、儀式前日の予行演習(←原文ママ)でも学校側学校側が再度、「憲法上の権利」を解説

予行演習?
このジャーナリスト氏は、卒業式や入学式をどのようなものと考えているのでしょうか?それを言うなら、予行練習じゃあないのかな。それとも、この定時制の高校では、これも単位に関係するのでしょうかね。

それにしても、この学校は異常ですね、憲法の権利を行使する前に、その行使に相当するであろう義務は、規則で決められたことを守ることぐらいでしょう。
子供(彼らは子どもと書きますけど)の権利を声高に言う人の主張中に殆どと言っていいほど欠落しているもの、それが義務の部分です。

子供は、未成熟故に、成人とは異なる保護のシステムがあり、大人が負うべき責務も減免されているのです。それを無視して子供に大人と同等の権利を認めるなら、もはや教育を社会が支える必要も、少年法などで保護する必要もありません。

>(立つ・立たない、歌う・歌わないの行為が原因で)差別や偏見が起こってしまった場合には、私の職と身分にかけて、責任をとりたいと考えていますから、みなさんご安心ください

この校長もまともじゃないですね。学校の最高責任者として、負うべきは生徒達が社会で立派に通用する大人になることでしょう。仮にこの学校で差別や偏見がなかったとしても、そういう生徒は社会に出れば、差別や偏見で見られる前に「社会不適合者」と看做されます。それでも教育者なのかな。

>広島県教育委員会は今春、各校に卒業式や入学式での「君が代」の声量や起立・不起立数を報告させ、「服務違反」職員処分の資料にした

>そんな風潮に比べたら、A高校ははるかにまともだ。

この広島の例は、反対派がよく使うものです。まず声量についてですが、血の巡りが悪いバカなサヨクの人達は、歌えと言われたとき、どうするでしょう?
答えは簡単です。「歌っているフリ」をするのです。それは子供達にも指南していることでしょう。ささやかな抵抗をしましょうなんて言ってね。

そこにいる人間が普通に歌えば聞こえるはずのものが聞こえないのであれば、バカバカしくとも声量を基準にするしかないでしょう。
教委はこんなことを仕事としてしなければならないほど教育の現場が崩壊しているというのは、嘆かわしい限りですね。

きまりを曲げて生徒に伝えている時点でこの学校は、少なくともまともではありません。このライターさんの価値観ではまともなのでしょうが。

>「学校で実施する国歌や国旗は偶像には当たらない、宗教に抵触することはないと考えています。

旗や歌にどういう意味を見出すのか、それは個々人のそれこそ自由です。偶像と見てしまう人がいるかもしれません。しかし、それを偶像と一般化することはできません。だから、偶像に当たらないのも宗教に抵触しないのも当然のことです。

>C君は、「(『君が代』を我慢しなさいとの)説得を聞くのは耐えられない」と、D校長との面会を拒んでいる。

要するに堪え性のないガキが我儘言ってるだけってことでしょう。あれも嫌、これも嫌、あれしたい、これしたいって、乳飲み子のような駄々のレベルと同じです。
ただ、問題なのは、こういうことを大人が「子供の人権」とか言って擁護したりすることでしょう。
サヨク的には、「子ども」を山車にして、その子の宗教などを「奇貨」として己のイデオロギーを満たそうとしているのでしょうが、残念ながらこの子の主張は話になりません。確かに17歳にもなって、こんなことしか言えないのは或る意味可哀想ですが。

>「君が代・日の丸」を巡る論点は複雑

ライター氏も相当なものですね。論点は単純、ルールを守るか、守らないかだけでしょう。守らないことを正当化できるだけの理由は、残念ながら反対派からは聞こえてきませんがね。
尤も複雑化して有耶無耶にしたいという気持ちはわからなくはないですが。

>教育委員会が「実施」にこだわればこだわるほど、拒否する教員たちも反発を強める。

拒否する教員達は反発を強めていなくもないですが、僅か数万円の「減給」で途端に「良心の自由」を放棄してしまう惰弱な連中が殆どではないでしょうか?職を賭して訴えるに足る主張と気概のある人間がそれほどいるとは思えませんがねぇ。

>まるで労使闘争の象徴のように利用していると見えることもある。

見えなくもないですがね、まるでヤクザのように、自分達の主張のためならどんな手段でも平気で行使するところなどは。ていうかサヨクなんだから一緒だろうよ。行動パターンも思考停止したところとか。
ただ、この国旗・国歌は、それにも満たないのじゃあないでしょうか?アタリマエのことをしなさいに対してヤダヤダっていうレベルのものでしかありませんからね。

>歌の「歴史性」などは関係ない。「強いられること」が問題なのだ。

あのう、さっきまで偶像とかなんとか言ってなかったっけ?もし偶像とかになるなら、邪神扱いされる対象、つまりサヨクの方が嫌いな「天皇」に問題があるんじゃないの?だったら、「強いられること」ではなくて「歴史性」が問題ではないでしょうか。

>「教委対組合というふうに、『日の丸・君が代』はこれまでは教職員の問題でしかなかった。でも今回、問題の本質は子ども(←原文ママ)の人権を守れるかどうかだ、とういうことに改めて気づかされた。」

「信仰のことはバックアップできません。というか、学校も教師も生徒のそういう心の奥深いところをほじくるべきではない。ただ、このままだと彼は行き場がない。とすれば、学校側が変るほかないと思う」

子供の人権ねぇ。教師はそれを守るために存在するのか、世の中に出たとき困らないように社会人に必要な知識や教養、儀礼、遵法意識などを教えるために存在するんじゃあないのかな。
要するに駄々を捏ねるガキの躾をすることが教師の役目じゃないの?
駄々と権利の区別も付かないなら教員の資格はないでしょ。つか、辞めても職業サヨク以外と進歩的文化人ぐらいしか職なないだろうけど。

彼の行き場がない=学校がその言い分を聞くしかない

というのは、「彼」しか救えないということにしかならんのだが。それでもいいのかい?もし彼の宗教上の理由を尊重するのであれば、

例えば、イスラム教を信仰する生徒が給食の豚肉が宗教上の理由で食べられないってなったら、豚肉抜きの給食にするの?
ヒンドゥ教の生徒が牛抜きは神聖なものだからって言えば、牛肉も抜くの?

国旗と国歌が宗教上の理由でダメなら、これらもダメでしょう。そんなことに合わせることのどこが、子供の権利を守ることなのか、もうちょっと頭を使えないかね。

>耳を塞いでも聞こえてしまう「君が代」だけでもやめて欲しい。

見たくないとか聞きたくないってまるで中国政府みたいだねぇ。嫌なら出ないそれで解決。欠席が嫌なら出席する。選択肢は2つしかない。

偶像崇拝を禁じる宗教は多い。同じ悩みの生徒や保護者は少なくないのではないか。

しつこいねぇ。国旗や国歌は偶像じゃなかろう。少なくないかもしれないが、或る特定の宗教を信じるもののために、それ以外の人間が割を食うってのは問題にはならんのかね。

>「さまざまな価値観の生徒が通えるのが公立学校でしょう?生徒の願いを叶えるのが本来の姿のはず。こんな簡単なことをどうしてできないのか・・・・」
とB教諭。

このB教諭は、教師以前の問題として社会人として失格でしょうね。
「価値観が多様な生徒が通う」のは間違いではないでしょう。であれば、その価値観を全て満たすことなどできないと、何故理解できないのでしょうか。

「生徒の願いを叶える」というのは、学業を通して、生徒が望む将来を手に入れることができるようにすることであって、学校内で生徒の我儘を聞くことでないのは、朝起きて目を開けることと同じぐらいア・タ・リ・マ・エのことです。

どうしてそんな簡単なことが分からないのか・・・B教諭は。

>卒業式を欠席扱いにされたC君は今、その取消しをD校長に勧告するよう札幌弁護士会人権擁護委員会に求める「人権救済申し立て」の手続きを進めている。

結局、そういうことなんだね。
しかし、人権、人権て言う人は、どうしてこうも一面的な見方しかできないのかなぁ。仮に彼の言い分を通そうとすれば、それ以外の人の人権を侵していることになるのだが、それはどうするのでしょうかね。

こんなことが罷り通ったら、新興宗教を作って、日本の政府の決めたことは宗教上の理由で従えません、なんてのもOKになるじゃない。

それを認めることを信教の自由などとは、天地がひっくり返っても地球では言わないと思いますが、宇宙市民だから通じないのか?


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てっちん

さらっと読んで寝よと思ったらあまりの大量の電波に目が覚めた。
とりあえず、この馬鹿ガキ殺ってしまおうかと思うブラックてっちんが目覚めてしまいました。ぶっこみ駆けるぜ!

偶像崇拝の対象として国旗・国歌?
とりあえずWikipedia程度ですが調べてみます。
偶像崇拝:神像やカリスマ的な人間、超常的な自然構造物などの偶像を崇拝する行為

偶像:信仰、崇拝の対象として、彫刻・絵画で表した神や仏の像である。また、転じて大衆的な人気を博したり、尊敬されている人物のことを指す
むう、まだ旗とか歌はでてこない。ええい、次
崇拝:ありゃ、ノーヒット
信仰:
(信仰の対象として記載されていたものを羅列してみる)
 人知を超えたもの
* 宇宙 (森羅万象)、* 神 (神の一覧)、* 仏 (仏の一覧)
 人工物
  * 聖典、* 聖遺物、* 仏舎利、* ビリケン、
 自然
* 太陽、* 月、* 星、* 風、* 雷、* 洞窟、* 鍾乳洞、* 泉
* 山、* 川、* 海、* 岩石
 動物
* クマ、* キツネ、* ネコ、* イヌ、* オオカミ
 個人
* 聖人、* 尊師
 その他
* 宇宙人
旗も歌も該当してねえよ。特におや?ってのもねーよ・・・orz。
>この教団は一神教
俺様教とかジャイアン教とか9条教とか人権教とか進歩教とか平和教とか子ども教とかか。少なくとも私の認識では一神教だろうと多神教だろうと邪教だろうと旗・歌は信仰の対象外です。
>国歌だけじゃなくて、校歌とかも歌いたくないんです。
歌わなきゃいいじゃん。口パクしてれば問題ない。
>国旗が飾ってあって、国歌が流れるような場所にいたくないわけで・・・・・
じゃ、休むしかないね。もしくは一人さびしく校舎にいなさい。
>自分の卒業式には出席して、クラスメートや家族達と喜び合いたい気持ちは、ほかの生徒と変らない。
そのクラスメートが殊のほか日の丸・君が代が好きだったならば友情は崩壊ですね。日本代表の試合に誘われたら断っているのでしょうね。
>自分が卒業式に出席できない理由は実は学校側にある、と言えるんじゃないか。
い・え・ま・せ・ん!!それに学校側にあるといいながら
>C君は、「(『君が代』を我慢しなさいとの)説得を聞くのは耐えられない」と、D校長との面会を拒んでいる。
まるでどっかの政党みたいですね。議論の余地なしですか。この時点でもう一般人にはアウト・ダウトです。なのに
>「人権救済申し立て」の手続きを進めている。
厚顔無恥にもほどがありますね。話し合いの余地がありながら自分で放棄して、自分の主張が通らないのは人権侵害ですか。これが人権侵害として通用するなら、これからの日本は訴訟社会ですね。サヨクの嫌いなアメリカのようです。あ、でも弁護士の活躍の場が増えるからいいのか(笑)
>「君が代・日の丸」を巡る論点は複雑
これに関しては会長のおっしゃるとおりルールを守るか、守らないかだけでしょう。はい、残念。
>ただ、このままだと彼は行き場がない。
行き場のないものに信仰を求めたのは彼です。周りが彼に合わせる必要はまったくもってありません。それこそ信仰の自由です。

もういちどWikipediaで”人権”で調べてみる。
>憲法の自由権規程を無視した国旗国歌への表敬強制も含まれる、という声も
いちおう記述されていたけど、ベースは
>精神の自由
>特定の信仰・思想を強要されない、また思想調査をされない権利
これの解釈の問題かな。間違っていたらすみません。
特定の信仰・思想を強要されないということで、国旗国歌は強要されるべきではない。じゃあ仮にこれを認めるとして、C君の卒業式では国旗国歌を自粛する。
そうするとC君以外にしてみれば、特定の信仰・思想を強要されないの部分で、C君の教団の信仰・思想を強要されて、国旗国歌を自粛させられたとはならないのでしょうか。

・・・なんだか書いていて自分でもよくわからなくなってきた。
とりあえず電波浴びたんで恒例(?)の
 ;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
最近、サヨクは混沌を求めているのではと本気で考えています。彼らの主張を整理するとそこに住む万人があらゆる自由を求め、そのせいで何もできないという状況しか想像できないよ。
もちろん彼らは”義務”を放棄しているので、その何もできない状況を打破する”義務”を持つ人などおらず、ただ退廃するのみ。
by てっちん (2005-05-28 04:02) 

KK

すごいな~(驚愕)
まるでネタですね
これが本気でかかれてるとは思えない・・・・思いたくない
だいたい国旗を掲げ国家を歌うってどこの国でもやってる事だろうに。
日の丸見るのが君が代聞くのがそんなに嫌なら日本出たほうがいいと思いますね。
彼にためにも、これから先いくらでも日の丸目にするだろうし君が代も聞くだろうしそのたびに重要な行事も欠席していくのかな?
by KK (2005-05-28 07:15) 

FD3S

てっちんさん、いらっしゃいませ!
詳細な解説をして頂きましてどうもありがとうございます。

このままにしておくのは非常にもったいないです。私もちょこっと調べてエントリしたいと思います。
サヨクな彼らが言うところの人権ですが、あまりにも狭量ですね。利害の一致するものの権利を追及すれば、それに相反する集団の権利を阻害したことになります。
国の中で国民の総意として決められているもの(=民主主義的なプロセスによって総意と看做されるもの)に対しては個人の権利はある程度の制限を受けることは当然のことだと思います。
共同の場でシェアリングされたプライベートなエリア(色々な意味で)に関してのみ個人の権利・自由は主張でき行使できますが、他の権利者にシェアされた領域を侵す主張は、他者の権利を阻害する行為で認められません。
もし、それを認めれば、本来同等の権利を有するはずの両者に差異を設けることになります。
人権派と称する連中は、クライアント若しくは自分達の主張に都合のいい人間の越境的権利(即ち他者の権利の侵害)を肯定させようとするもので、明らかに誤りであると思います。

>サヨクは混沌を求めているのではと本気で考えています。

そうかもしれませんね。少なくとも自分達の主張を修正して賛同者を増やそうという気持ちはあまり感じることが出来ません。少数化しようが先鋭化しようが自己の主張は決して変えないという頑迷さを感じます。そしてその主張には刹那的な雰囲気が溢れています。
彼ら自身は、具体的な形のあるものに対して反発することのみで、実体を持たないのではないかと思います。また、活動しながらも「答え」をもっていないのかもしれません。だからこそ、混沌という感じが漂うのではないでしょうか。
by FD3S (2005-05-28 17:52) 

FD3S

KKさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございました。

>すごいな~(驚愕)
>まるでネタですね
>これが本気でかかれてるとは思えない・・・・思いたくない

言論の自由の正体はこんなものです。こんなのが、書店に並び(といっても僅かな部数ですが)、この本に寄稿して生活するものがいるのです。ネタで書いているのなら、いいんですけどね。

>だいたい国旗を掲げ国家を歌うってどこの国でもやってる事だろうに。

このようなことをこういう連中に問うと、
どこの国も強制はしていないと言います。
じゃあ、強制しなければ無問題?と聞くと、国旗や国歌に込められた歴史的背景がケシカランとなります。
ならば、今の国旗・国歌がいやなら変えれば?というと、どんなものになっても国が強制するならがケシカランと言いますし、
じゃあ、強制もせず、国旗・国歌を変えたら、自発的に敬意を表して歌うのかと言えば、答えがぶれるのです。
彼らの根っこにあるのは、「反天皇」なのですが、対案を持って反対しているのではないんです。反対のための反対、をしている自分達に陶酔しているだけなのでしょう。だから具体的な対案も持たず、無理を通せば道理が引っ込むとばかりに駄々を捏ねるのです。

>日の丸見るのが君が代聞くのがそんなに嫌なら日本出たほうがいいと思いますね。

売国系日本人の彼らも反日を看板に掲げている在日外国人も、まっとうな日本人もびっくりするぐらい日本がすきなのだろうと思います。ただ、昨今、多くの人がかかる反日集団の呪縛や洗脳から開放され、覚醒しつつある中では、死活問題とばかりに喚きたてているというのが実際のところでしょうね。
日本を嫌いながらも日本にいることが何よりも好きな彼らは決して離れないでしょう。もし、その主張により国外退去なんてなったら、びっくりするぐらい真逆のことを言い出すと思いますよ。所詮、サヨクの思想なんてそんな薄っぺらいものでしかないでしょう。

>彼にためにも、これから先いくらでも日の丸目にするだろうし君が代も聞くだろうしそのたびに重要な行事も欠席していくのかな?

彼らが主張する場所は、彼らにとって利益に繋がる可能性のある場に限定されるのではないでしょうか。主張しても得にならないところでは、日の丸も君が代も平気ってのが実際のような気がします。

ところで、KKさん。
例の朝日の記事、ネタにしてみました。「朝日は成熟した新聞社なのか?」というエントリに書いております。お時間がございましたら、そちらもご覧いただければ幸いです。宜しくお願い致します。
by FD3S (2005-05-28 18:14) 

KK

ありがとうございますw
見たのですが、あの時コメント書き忘れてました、すみません
にしてもあまりに電波な内容の情報を管理人さんに提供してしまったために
あまりにたくさんの突っ込みいれてもらう事になってしまいました、ありがとうございましたw
by KK (2005-05-28 20:34) 

枇杷

>(彼は)よく知られる教団名を挙げて、自分はその上位ランクの信者を目指している立場です

どこの宗教だか知りませんが、それは信仰の云々じゃない。
教団という人間組織の中での自分の地位をアップさせたいというエゴイズム。この子はそれと人権問題をヘンなところでリンクさせていると思うし、彼が信仰しているのは神さまじゃなくて、神さまに対して信心深い(と思ってる)自分ですわ。こういうのを「偶像崇拝」というのです。

それを反天皇制運動につなげていく教員・ライターにも呆れますが…。
by 枇杷 (2005-05-28 23:03) 

ささ

はじめまして。時々読ませていただいておりました。ささと申します。

この教団ですが、おそらく輸血拒否で知られた、独自の翻訳の特殊な聖書を用いて伝道活動を行っている団体であると思われますです。この教団における「偶像崇拝」の定義はきわめて幅広く、校歌、社歌はもちろんのこと、誕生日、正月、ひなまつり、七夕、アイドルのポスターなど軒並みひっかかります。

アメリカではこの教団がらみで、学校で国旗への敬礼を拒む権利があるかないかを法廷で争ったバーネット事件というのがあり、結局、敬礼を拒否する権利が認められました。学校での国旗への敬礼はアメリカではきわめて盛んに行われており(毎朝Pledge of Allegeanceを全生徒が唱える)、バーネット事件は、個人がそれを拒むことができる、と判定しただけであって、学校で国旗に敬礼してはいけないとか、そういう教育が人権侵害だとされたわけではまったくないのですが、日本では時々、この点を誤解して(あるいは意図的に歪曲して)、国旗国歌反対の論拠として引用されることがあるようです。
by ささ (2005-05-28 23:37) 

靖彦

はじめまして。靖彦と申します。いつも楽しく拝見しております。

今回の記事を読ませて戴き、「教育」という「国家建設の根源たる要職」に、何時迄経っても成長しない人々が相変わらず多く就いていることに暗澹たる思いです。

私の高校時代(20数年前)にも、確か「公民」の授業で盛んに、「判断は、君達の自由だ」と言いながら、「日の丸・君が代」を天皇の戦争犯罪と軍国主義に結びつけ、式典等での「君が代」斉唱を問題として提起する教員がおりました。
ある時私は、余り耳障りなので「本日の授業と関係ないようなので授業を優先し、●●先生のご高説は国家の一大事であると思われるので、直ちに教員を辞して議員となり、国旗国歌改定に尽力されるべき。」と揶揄したところ、「国家によって、若い君達が偏った一面の情報に縛られることが無いよう・・・」等と屁理屈を捏ねる始末でした。
しかしこの論争に対して、私の後ろの席のG君(彼は午後の部活に備えて、この授業は腕組みしたまま爆睡するのが常でした)が、「先生、うるさくて眠れんわぃ!」と一喝したところ、●●先生はバツ悪そうに黙って通常授業に戻りました。私の「正論」にはアレコレ反論し続けた彼は、G君の「暴論」には大人しく従ったわけです。(笑) 所詮彼等の理念とはその程度のものです。
因みに学業は不得手なG君が、おそらく全然解らなくても唯一静聴していた授業はT先生の数学でした。T先生は、私の高校では最も生徒の信頼厚い先生で、江田島の兵学校出身でした。

自分の父親や親戚も元教員であり、他にも教員の方に以前仕事で接した私の率直な感想では、彼等が成長しないのは、成長しなくても良い(自己の主義主張と異なる意見や社会常識等を、国家権力による強制等として忌避し続けられる)環境だからだと思います。
現実を妄言として直視しない某国と同じ論理です。もっとも私の父の狭量は「中国製品嫌い→不買」という形で現れるため、衣類や生活雑貨等の購入費が異常に高くて大変そうです。(笑)

非常に度量と視野の広い優秀な先生もいらっしゃいます。しかし、彼等の職務の対象(一般社会であれば顧客)が児童や生徒であるため、一般に狭量で独善的な方が多い(教職員同士やPTAとの対応等はあり、それなりにストレスも多いそうですが、それでも他の一般的な職業に比べて偏向者でも勤まる)のが実情だと思います。

突然長文にて、大変失礼致しました。皆様の今後一層のご活躍を祈念申し上げます。
by 靖彦 (2005-05-29 02:15) 

FD3S

KKさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>見たのですが、あの時コメント書き忘れてました、すみません

こちらこそ、厚かましくも催促してすみません。ただ、あまりの内容に私もやられて十分突っ込めたか自信はありませんが(笑)。

>にしてもあまりに電波な内容の情報を管理人さんに提供してしまったために
あまりにたくさんの突っ込みいれてもらう事になってしまいました、ありがとうございましたw

いえいえ、あれほどのブツはそうありませんから、貴重な情報をご提供頂き感謝しております。
今後とも、何かネタがございましたら、どうかご遠慮なくお申し付け下さい。頑張ってエントリします!今後とも宜しくお願いします。
by FD3S (2005-05-29 11:21) 

FD3S

枇杷さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>教団という人間組織の中での自分の地位をアップさせたいというエゴイズム。この子はそれと人権問題をヘンなところでリンクさせていると思うし、彼が信仰しているのは神さまじゃなくて、神さまに対して信心深い(と思ってる)自分ですわ。こういうのを「偶像崇拝」というのです。

私自身が特定の宗教を信奉しているわけでないので、彼の宗教への傾倒ぶりを理解することはできないのですが、国旗・国歌自体が信教の自由を侵しているわけではないという時点で彼の主張は破綻していると思います。
エゴイズム、まさにそのものですね。神様を思う自分に重心を置いた考えですね。

>それを反天皇制運動につなげていく教員・ライターにも呆れますが…。

例えば年端も行かない(17歳の青年に使う言葉ではないと思いますが)がこのような考えに至ったとき、それを正しい方向に修正したり導いたりするのが、身近な大人であり、この件に関してはこの高校の教諭なのでしょう。
彼が、教諭の言葉を言質に自論を展開しているとすれば、そう思わせるだけのことを教諭が示唆していると考えるのが自然なのかもしれません。記事の中には出ていませんが。
となれば、高校生の彼もまた被害者であるといえなくもないですね。適正な教育や指導を受け、正しい認識を持つ機会を奪われたという意味では。
by FD3S (2005-05-29 11:30) 

FD3S

さささん、はじめまして、ようこそ拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

>この教団ですが、おそらく輸血拒否で知られた、独自の翻訳の特殊な聖書を用いて伝道活動を行っている団体であると思われますです。この教団における「偶像崇拝」の定義はきわめて幅広く、校歌、社歌はもちろんのこと、誕生日、正月、ひなまつり、七夕、アイドルのポスターなど軒並みひっかかります。

私は特定の宗教を信奉していないので、そういう事情に非常に疎いのですが、そういう宗教があるのですね。輸血拒否の話は聞いたことがありますが。
それにしても何と狭量な教義なのでしょうか。信者の方はそこに何を求めているのか、信仰心の薄い私には夢想だにできません。

>アメリカではこの教団がらみで、学校で国旗への敬礼を拒む権利があるかないかを法廷で争ったバーネット事件というのがあり、結局、敬礼を拒否する権利が認められました。学校での国旗への敬礼はアメリカではきわめて盛んに行われており(毎朝Pledge of Allegeanceを全生徒が唱える)、バーネット事件は、個人がそれを拒むことができる、と判定しただけであって、学校で国旗に敬礼してはいけないとか、そういう教育が人権侵害だとされたわけではまったくないのですが、日本では時々、この点を誤解して(あるいは意図的に歪曲して)、国旗国歌反対の論拠として引用されることがあるようです。

バーネット事件については、そういうものあることは、国旗・国歌反対の人のHPで見かけたことがあります。こんな背景はあったのですね。詳しくご教示くださりありがとうございました。
なるほど、個人の行為として拒否する権利を認めただけなのですね。件のHPなどでは、仰るようにかなり曲解されているようですが。
そういう立場から見た場合に、強制されることの違和感を主張の根拠にしているのですね。公共の場のマナーやルールと個々が信奉する宗教的価値観のどちらを優先するのか、判断が難しいのかもしれませんね。

私としては、一般的な生活の中の規範、倫理、道徳などを超えたところで宗教的概念を振りかざすのは、他者の権利を侵しているように思うので、アメリカのこの判決もどうかなとは思いますが。

多くの人にとって、自然なたしなみ、常識と思われることが法律で縛られることには、私も諸手を上げて賛同は出来かねるのですが、逆に言えば、そんなことさえ、きまりを作らなければ守れないということこそ、問題にすべきなのだろうと思っています。
by FD3S (2005-05-29 11:47) 

運動家じゃないけど

私はそもそも「教育」は「強制」だと思います。
朝何時迄に登校しなさい、挨拶しなさい、勉強しなさい、テストを受けなさい、赤点なら補習を受けなさい等等・・・そうやって集団生活の規律を叩き込み、人間社会で通用する常識を植えつけるのが学校だと思います。

日本で暮らしている者が、日本の国旗・国歌を敬うのは当然のことです。それが出来ないというのは、お世話になった人に「ありがとう」と言えないくらいに愚かなことです。学校が生徒に国歌を強制するのは、当たり前の教育だと思います。
by 運動家じゃないけど (2005-05-29 11:48) 

FD3S

靖彦さん、はじめまして、ようこそ拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございます。

>いつも楽しく拝見しております。
光栄です。有難いお言葉を頂戴し感謝申し上げます。大変励みになります。拙くはありますが、今後とも頑張りますので宜しくお願い致します。

>今回の記事を読ませて戴き、「教育」という「国家建設の根源たる要職」に、何時迄経っても成長しない人々が相変わらず多く就いていることに暗澹たる思いです。

まさに仰るとおりです。
私はしがない技術者ですが、先生という仕事に尊敬の念と憧れの情を持っていました。有形無形の将来の財産である子供達の無限の可能性を最大限引き出すという高邁で神聖な仕事であると思っているからです。
だからこそ、かかる教員の姿を見ると、激しい憤りとむさしさを抑えることができなくなってしまいます。そのせいで、筆がおかしな方向に走ることしばしばですが・・・。

靖彦さんは私よりも多少年長であられるとご推察いたしますが、田舎の学校に通っていた私は、無知のためか鈍感なせいか、かかる教員を間近に見た記憶はなかったように記憶しています。
気づいておれば、もっと早く覚醒したのかもしれませんが、恥ずかしながらつい最近まで、どちらかと言えば←側だったように思います。このブログではその自戒も込めて細々と続けているような次第です。

>自分の父親や親戚も元教員であり、他にも教員の方に以前仕事で接した私の率直な感想では、彼等が成長しないのは、成長しなくても良い(自己の主義主張と異なる意見や社会常識等を、国家権力による強制等として忌避し続けられる)環境だからだと思います。

先生という職に就くべき人は、自らに常に何かを課して研鑽し、それこそ多くの人に範を垂れるべき存在であって欲しいと私は思っています。
実際にそのような高い志を持って、熱心に指導している先生が私の身近にもいますし、大半の先生が宗であって欲しいと思います。
尤も仰るように民間にあるような、或る意味強制的な研鑽、啓発、成長のシステムが教育界において希薄であろうことは、それが抱える問題であると思います。そういう意味では教員の質の向上のために、風通しをよくすること、企業的な考え(信賞必罰的な概念の強化)もある程度は必要ではないかと思います。

>非常に度量と視野の広い優秀な先生もいらっしゃいます。しかし、彼等の職務の対象(一般社会であれば顧客)が児童や生徒であるため、一般に狭量で独善的な方が多い(教職員同士やPTAとの対応等はあり、それなりにストレスも多いそうですが、それでも他の一般的な職業に比べて偏向者でも勤まる)のが実情だと思います。

広い度量と見識を持って熱心に教育に従事する先生のためにも、狭量な教員は淘汰(極論かもしれませんが)することも検討されるべきではないかと思います。
ただ、教育という壮大な事業を考えるとき、教員のみにその重責を担わせることも問題があるかなと思います。昨今の保護者の中には、基本的な躾の類まで学校に押し付けるものもいるように聞きます。学校で身につけるべきことと家庭で身につけることの峻別もまた、望ましい教育のためには必要なのだろうと思います。

>突然長文にて、大変失礼致しました。皆様の今後一層のご活躍を祈念申し上げます。

いえいえ、有用かつ貴重なご意見を賜りまして感謝申し上げます。今後ともご指導を賜れれば幸甚に存じます。
by FD3S (2005-05-29 12:20) 

FD3S

運動家じゃないけどさん、はじめまして、ようこそ拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございます。

>私はそもそも「教育」は「強制」だと思います。
朝何時迄に登校しなさい、挨拶しなさい、勉強しなさい、テストを受けなさい、赤点なら補習を受けなさい等等・・・そうやって集団生活の規律を叩き込み、人間社会で通用する常識を植えつけるのが学校だと思います。

まさに金言で、我が意を得たりという感じです。教育を受ける子供達の将来を思えばこそ、時に厳しくするのが正道であろうと思います。
それを、未熟であろう子供の言い分に迎合するようでは、本末転倒といえると思います。
ましてや、己の偏狭なイデオロギーを満たさんがために子供を出しにするなど教員というよりも人間としてあるまじき行為であると思います。

>日本で暮らしている者が、日本の国旗・国歌を敬うのは当然のことです。それが出来ないというのは、お世話になった人に「ありがとう」と言えないくらいに愚かなことです。学校が生徒に国歌を強制するのは、当たり前の教育だと思います。

強く共感します。仮に国旗や国歌に彼らの言うような点があるとしても、そのことと国旗や国歌を軽視してもいいという理由にはなりません。国民あっての国という認識は共感できても、国を軽んじることはできません。何故なら、国民お一人一人が国の一部であり、国旗・国歌はその象徴であるからです。いわば自分の一部でもあるといえます。ならば、それらを軽視することは或る意味自己否定になるのではないかとも思います。

アタリマエのことを法律で強制しなければならないことは、望ましいことではありませんが、そうしなければならない現状では止むを得ないことであろうと思います。
ただ、強制されずともアタリマエにできるようになればこのような法律などもはや必要なくなるでしょうね。
思想に左右が存在することは、非常に重要なことですが、このような瑣末な問題を徒に喧伝することは不毛の極みであり、全く建設的ではありません。
手法の差異はあっても国を想うことは、思想とは関係なく共通の認識として持つべきではないかと思います。
by FD3S (2005-05-29 13:02) 

SEI

こんにちは。遅いコメントで申し訳ございません。
いつもながらFD3Sさん、GJです!

いやーすごい電波で、仕事中にもかかわらず目が覚めてしまいました。
C君は企業には就職できませんね。特に毎日社歌を歌わされるような会社には。もちろん支社に貼られた会長の御真影に毎日一礼しなければならないような会社にも(笑)。
いや、そのときにも言うのかな?「私の信じる神以外をあがめることはできません!」って。

あと、強制云々は以前にこちらでコメントさせていただいたとおり。運動家じゃないけどさんもおっしゃっていますが、教育とは本来強制的なものであるべきで、何でもかんでも生徒に「選ぶ権利がある」と言ってたら、嫌いな先生の授業は出ない、掃除はしない、委員にはならない仕事もしない、こんなわがままが通ることになります。何で国旗・国歌だけが「強制」になるの??

学習指導要領ですが、法的拘束力はあります。文部省告示という形ですが、伝習館事件の最高裁判決で「法規としての性質を有する」とされています。
大綱だなんだというのは、所詮ド左の屁理屈ですよ。だって、以前日の丸・君が代反対派は「どこにも日の丸・君が代を国旗・国歌と定めた法律はない。よって、日の丸・君が代は国旗でも国歌でもない!」などという、これまた世界の常識を知らない屁理屈を掲げておいて(世界には国旗・国歌を法律で定めない国も多い。また法には慣習法というものも存在する。常識ですよね)、いざ法制化されると今度は「国旗・国歌法は式典での掲揚・斉唱を規定していない!」などと、またぞろ騒ぎたてているわけですから。
理屈は何だっていいんですよね。とにかく「反対ありき」。あほらしい。

では、仕事に戻って寝ます、いやがんばります。
by SEI (2005-05-30 14:41) 

SEI

ひとつだけ

こんな記事がありました。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050529/mng_____tokuho__000.shtml

プロ生徒か・・・。
by SEI (2005-05-30 14:46) 

FD3S

SEIさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>遅いコメントで申し訳ございません。
こちらこそ、返事が遅くなって申し訳ございません。

>いつもながらFD3Sさん、GJです!
どうも、ありがとうございます。これからもがんばります!

>C君は企業には就職できませんね。

若い彼が、どこかで気づいて変ってくれればいいのですが、宗教を背景にしてこういうことを言うとなれば、矯正は難しそうですね。

>教育とは本来強制的なものであるべきで、何でもかんでも生徒に「選ぶ権利がある」と言ってたら、嫌いな先生の授業は出ない、掃除はしない、委員にはならない仕事もしない、こんなわがままが通ることになります。何で国旗・国歌だけが「強制」になるの??

全くそのとおりです。好き嫌いを「思う」ことや「おかしい」って考えることは問題ないことですが、それを行動原理にしているところに彼らのおかしさがあると思います。教育の現場に限らず、法治国家とは、強制力のある「法」を守ることで維持されています。法は万能ではないでしょうが、そのことと不法を正当化することは異次元の話ですよね。

>学習指導要領ですが、法的拘束力はあります。文部省告示という形ですが、伝習館事件の最高裁判決で「法規としての性質を有する」とされています。

おお、そうでしたか。じゃあ、なおさら従わない彼らには一分の理もないってことですね。

>大綱だなんだというのは、所詮ド左の屁理屈ですよ。だって、以前日の丸・君が代反対派は「どこにも日の丸・君が代を国旗・国歌と定めた法律はない。よって、日の丸・君が代は国旗でも国歌でもない!」などという、これまた世界の常識を知らない屁理屈を掲げておいて(世界には国旗・国歌を法律で定めない国も多い。また法には慣習法というものも存在する。常識ですよね)、いざ法制化されると今度は「国旗・国歌法は式典での掲揚・斉唱を規定していない!」などと、またぞろ騒ぎたてているわけですから。
理屈は何だっていいんですよね。とにかく「反対ありき」。あほらしい。

彼らは、反対のための反対だから、すぐ論理的に行き詰ってしまうのですが若い子の中には、その若さゆえの正義感と単純さで刷り込まれ、のめりこんでいくのかもしれませんね。大人が責任持って子供を教育しないことの弊害は計り知れません。国益という言葉を使えば、想像を絶するほどの損失かもしれません。

>では、仕事に戻って寝ます、いやがんばります。
頑張ってください。あと、素晴らしいネタをどうもありがとうございました。長くなりましたが、エントリしましたので、お時間があるときにでもご覧下さい。
by FD3S (2005-05-31 02:25) 

sasa

なんだこのバカサイトは

読んで損した・・
by sasa (2006-03-08 20:54) 

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