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ツケは誰が払うのか? [2005年5月]

ツケは誰が払うのか?

TVタックルを見て、暗澹たる思いになっています。日本人が本来持っていた高い倫理観とか、道徳的概念は法制化されなければ維持することはできないのでしょうか?悲しい限りです。先日も国旗・国歌の件についてエントリしましたが、今日もそれに関する内容について触れてみたいと思います。

当該エントリのコメント欄にSEIさんがお寄せ下さった情報を元にしたいと思います。SEIさんどうもありがとうございました。
引用するのは、東京新聞の記事です。

『日の丸・君が代』強制 都立高生・OBの思い


今春の東京都公立学校の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとして都教委が二十七日、中高教員に対し異例の停職一カ月を含む懲戒処分を発令した。度重なる「日の丸・君が代」強制に絡む教職員の処分は、子どもたちが自分自身で考える力を奪うことにつながりかねない。都立高校の卒業生と在校生に生徒から見た学校の現状を語ってもらった。

――いま卒業式・入学式の時期を迎えると学校が緊張すると聞きます。生徒への国歌斉唱の指導が「職務命令」として先生たちに義務づけられたことで、生徒が起立しなければ担任の教員が処分される事態にもなりました。学校で何が起きているのか、皆さんの学校では今春、どんな卒業式だったのでしょう。

明治大学一年、永沼拓海さん(18)=都立戸山高校卒=「生徒有志による卒業式委員会で前年の六月から準備を重ねました。卒業生、在校生、先生、保護者、OB会、そして教育委員会も含めて『戸山』にかかわるすべての人が、新たなスタートラインに立てるような思い出深い式にしたかった」

永沼さんは今年三月の卒業式で、クラス代表として卒業証書を校長から受け取るとフロアに向かい「都教委の方にお願いがあります。もうこれ以上、先生たちをいじめないでほしい」と話した。会場から大きな拍手が起こった。

「生徒の意見もさまざまで、日の丸・君が代一つとっても、たたえて当然だという人もいるし、愛国心の押しつけは怖いという人、とりあえず先生が処分されないよう穏便にやるべきだという人がいる。でも、先生たちが苦しんでいるのを避けたいという感覚は皆が持っていたから」

卒業生代表の一人として言葉を述べた早稲田大学一年、佐藤貴之さん(18)=同=「卒業生の言葉を述べる時に、僕は『自分は天皇を人格者として尊敬し君が代も歌った。だけど、この強制はおかしい』と話しました。歌うのは自由意思でなければと思って。(人々の日常的な怠慢や自己保身、他者への無関心が全体主義につながるという)『茶色の朝』の物語を引用し、それからでは遅いんだと訴えた」

■「内心の自由」通達で変わった

――かつては、起立、斉唱するかどうかは内心の自由の問題であることを多くの学校が説明していました。二〇〇三年秋に都教委が通達(国旗・国歌の実施指針)を出すまでの話です。

都立高三年Nさん「二年前の入学後、学校の周年行事で先生が『家庭がキリスト教信者であるといった事情がある場合は、内心の自由があるので立って歌わなくてもいい』と説明された。わたしは、高校生になったら中学時代と違って詳しく説明してくれるのかなと思いました。その後、二年生の現代社会の授業で先生が(不起立処分の方針を示した)都教委の通達を見せてくれ、事態が変わったと知った。先生は意見を押しつけなかったけど、日本が平和を目指すのであれば、アジアの国に昔の軍国主義を連想させる君が代を強制的に歌わせるのはおかしいなと感じた。わたしたちはイラク戦争も目の当たりにしたし

■教師の処分を知らない友人も

都立高三年Cさん「うちは父が都立校の教員で、父は起立していないと思っていた。先生にも思想・良心の自由があるじゃないですか。母に『お父さんはどうなの』と聞いたら、母は『あの人は立っているわよ』と。父は学校の仕事が忙しくてすれ違いなので、直接話し合ったことはありません。周囲には、生徒が立たなければ担任が処分されると思っている友だちは少ない。先生の中に『お前たちが立たないと、わたしが処分される』という人もいないけれど、これからはそういう先生が現れるかもしれない」

――「君が代」を歌うことができない人がいるといった事情は、学校できちんと教えるべきなのでしょうか。

佐藤さん「僕の場合は、たまたま中学生の時にクリスチャンの人がいた。国歌斉唱の時に歌わなかったね、と聞いてみたら、それは国を賛美することになるからできないと言われた。そういう考え方もあるんだなと初めて知った」

Cさん「わたし個人は、君が代の歌詞の意味はある程度わかりますが、すべてわかって歌っていない。小学校の時から、国歌だよと言われて反射的に歌うよう刷り込まれている。歌詞について自由に考えられるようにするためにも、小学校上級生ぐらいになったら意味を教えてほしい」

永沼さん「小学校二年生から中学一年生まで上海で暮らしました。当時、日本人駐在員の家族は今より少なくて、おのずと現地の子どもたちと遊び、地域の人に助けてもらった。住まわせてもらっているという感覚が強かった」

■少数派の立場やっと分かった

「帰国して、自分が外国人ではなく多数派になった時に、在日コリアンの高校生から『わたしは日本に住まわせてもらっている立場かもしれないが、日本国旗に対して、あなた方が想像できないほどいやな思い、歴史があるんだ。わたしたち一人一人の感覚を、(日の丸・君が代強制をはじめ)あなた方の国の方針でつぶさないでほしい』と言われた。少数派の人たちに、住まわせてもらっていると思いなさいよ、自分たちの国の方針にのっかりなさいよというのは間違っているのかなと、その時思った。強制されている人たちのつらさがすごくわかった」

――今春の卒業式では、「式の主役は子どもたち」との保護者の呼びかけがありました。日の丸・君が代の強制は「個性を伸ばす」という教育行政の常とう句に反しているように映ります。

Nさん「校長先生は『何かあったら言いに来てほしい』と言うくせに、実際は授業を前期・後期の二期制に移行させたりといった大事な話はすべて決まってから生徒に伝える。意見は聞いてもらえない。生徒がいなければ、学校は成り立たないはずなのに」

永沼さん「都教委の通達は国旗と都旗を式典会場の正面に掲げると示しているけど、僕たちはその真ん中に校章をデザインした学校の略旗を掲げたいと考えて校長先生と交渉しました。高校生活三年間の部活動や行事、先生や友だち、その思い出を象徴する旗です。ところが、校長は『卒業式は文化祭や運動会とまったく違う式典だ。そもそも、どうしてそんなに旗にこだわるのか』と説明するだけで認めてくれない。校長先生が自分でそう思っているのか、東京都に言わされている立場なのか。腹を割って話したいのに答えてくれなかった」

Cさん「日本は米国などと違って、上から押さえつけられると押し黙ってしまう国民性がある。学校でも社会でも、言っても無駄だと思う世の中になることは心配です」

佐藤さん「高校生活では、まず自分で考えろという僕たちにとっては良い先生が多かった。ところが、いまは教育行政が示す枠を生徒が超えちゃいけないという『教育』がどんどん学校に押し寄せています」


先のエントリでは、感情的になりすぎて、単なる罵倒になっていたとご指摘を受けましたので、真摯に反省して、つとめて冷静に見ていきたいと思います。非常に困難ですが・・・・。

このような、思慮にも分別にも欠ける未熟で惰弱で薄っぺらい言葉しか発せないヒトモドキ子供の言い分を読んで、「うん、うん」って首肯できる人を私は身近に知りません。私の拙い言葉を羅列する前に、当意即妙な文をご紹介しましょう。

「『なぜ作文なんか書かなければいけないの。口で言えばすむのに』『なぜおじぎをしなければいけないの。尊敬もしていない人に』子供は放っておくと自分の都合のいいなぜを無限に並べる。一々答えることは無用である。『作文の時間である。書け』と命じて、その理由をあげてはならないと私が言っても信じないなら、ヘーゲルが言っている。『しつけをするときは理由を言ってはいけない。理由を言うとその子のためにもならないし、社会にとっても迷惑である』云々」
(山本夏彦著『愚図の大いそがし』文藝春秋刊)
を引用した、(井沢元彦著『逆説のニッポン歴史観』小学館文庫)

そのものズバリという気がします。さて、当の井沢氏は、学校における国旗・国歌の問題をどう考えているのか、そのくだりも引用してみましょう。

問題はいくつかあるが、まず第1に校長と生徒は対等かという問題がある。つまり校長と生徒は何事も話し合って物事を決める立場なのか、それとも一方が一方に対して、指導する側と指導される側という立場なのか、という問題である。

もう一つは、それから当然付随していくる問題として、国旗・国歌つまり日の丸・君が代を「押し付け」ていいかという問題である。

私はそれに対してどう思っているかということは、冒頭に引いた山本夏彦氏の意見を見ても明らかだろう。このとおりにすべきなのである。子供の人権はもちろん尊重すべきだが、それを子供自身に主張させてはならない。これが古来からの人類の知恵というものである。

なぜなら子供は未熟であり、半人前だからだ。大人なら当然持っていなければならない忍耐力も持久力も、そして判断能力も持っていない。だからこそ、大人の指導が必要なのである。言うまでもなく、指導するということはその指導に従う、つまり命令に対して従うということであって、半人前の人間にそれに対する抗弁権はない。

もちろん、例えば、指導する側がその権力を悪用sて、無用の虐待を子供達に加えている場合は、救済しなければならないし、そのきっかけは子供の訴えであってもいいだろう。しかし、だからといって、子供に1から10まですべて抗弁権を認めるなどというのは、とんでもない話であり、対等に話し合う必要も全くない。
(井沢元彦著『逆説のニッポン歴史観』小学館文庫)

上の記事にある、大学生になった「子供」達の発言と比べるまでもなく、真っ当な正論であると思います。 長くなりますが、私の拙い言葉で彼らの主張を検討してみたいと思います。

>度重なる「日の丸・君が代」強制に絡む教職員の処分は、子どもたちが自分自身で考える力を奪うことにつながりかねない。

これは、当該記事を書いた大人である記者の言葉ですが、大人として憂うべきことは、規則すらろくに守れないダメ教員を間近に見て、誤った価値観を持ったまま社会へと放出される子供達がいるかもしれないこととその子らが実社会で異端扱いされるかもしれないということではないでしょうか。

子供達が考える力を失っているのか?ということについては、逆説的ですが、そうなのだろうと思います。常識に照らして、論理的に考えれば、自分達のすべきことが分かるであろう学齢に達しているにも関わらず、ステレオタイプのサヨクの主張を鵜呑みにしているのですから。
子供達が自身で考える力を奪っているのは、教委でも国旗・国歌でもなく、根拠なき好き/嫌いの感情を正論と盲信させるかかるダメ教員にあるのではないでしょうか?

>「生徒有志による卒業式委員会で前年の六月から準備を重ねました。卒業生、在校生、先生、保護者、OB会、そして教育委員会も含めて『戸山』にかかわるすべての人が、新たなスタートラインに立てるような思い出深い式にしたかった」 

文化祭とか学園祭などのお祭りと混同しているようですが、新たなスタートラインに着くという意味があるからこそ、入学・卒業式は厳かな雰囲気で行うべきものではないでしょうか?尤も、同級生や恩師との懇親の場が必要であるという気持ちも良く分かります。ただし、そういう会は別途設ければいいだけの話でしょう。
高校時代と言えば、大人への反発を強く持つ年代でありますから、そういう時期特有の感覚だというなら多少割り引くこともやぶさかではありませんが、その年齢でも持っていて当然の分別は自覚して欲しいものです。

>「都教委の方にお願いがあります。もうこれ以上、先生たちをいじめないでほしい」と話した。会場から大きな拍手が起こった。

この言葉を吐いた「子供」が明大生ですか。まだ社会に出るまでには、最低4年の執行猶予期間があるわけですね。学生時代に覚醒してくれればよいのですが。若い彼には考える時間もやり直す時間も十分あるのですから、是非まともな人間になって欲しいものです。

教え子に心配される教師。私がもし教員なら、この発言に怒髪天をつくような状態になるでしょう。これ以上に教師を愚弄している言葉はないと私は思いますが、この場の先生の中には、「よく言ってくれた」とほくそえむものもいたのでしょうね。

>「生徒の意見もさまざまで、日の丸・君が代一つとっても、たたえて当然だという人もいるし、愛国心の押しつけは怖いという人、とりあえず先生が処分されないよう穏便にやるべきだという人がいる。でも、先生たちが苦しんでいるのを避けたいという感覚は皆が持っていたから」

所詮、「子供」の世迷言ですから、仕方無いのかもしれませんがかかる発言はかの生徒の自発的な主張なのでしょうか。日頃の日教組教育が奏効しているのかも知れませんが、サヨクな人達の発言とユニゾンしてるのは不気味としか言いようがありません。
教えられる側に同情されている状態で、この子らは学校で何を学べたのでしょうか?かわいそうですね。

ルールの中身の好き嫌いで守るか・守らないかを選べると錯覚した状態で社会にでるかもしれない彼らの将来に不安を感じます。ダメ教員の思想教育のツケは誰が負うのでしょうか?

適切なたとえではないかもしれませんが、ものづくりに例えてみましょう。カスタムメイドの商品も増えてきましたが、まだ大多数は画一化され、所定の品質を満たした商品を私達は手にします。もしその中に著しい欠陥があったら、マスコミはじめ社会全体がその会社の体制や体質を糾弾します。逆に言えば、それだけの責任を製造会社は負っていると言えます。

学校はどうなのでしょう?社会が必要としている基準・品質を満たすことが教育という生産活動に求められるものではないでしょうか。モノの例えで言えば不良品は回収され、会社の責任も問われます。人をモノに例えるのは不遜かもしれませんが、社会が要求する資質を欠いた人間を多く輩出するというのは、社会的問題と言っても過言ではないように思います。

少なくとも、この発言の彼は社会が要求する資質のうちで最重要規格の一つである遵法意識が基準を満たしていないと私は感じます。

>「卒業生の言葉を述べる時に、僕は『自分は天皇を人格者として尊敬し君が代も歌った。だけど、この強制はおかしい』と話しました。歌うのは自由意思でなければと思って。(人々の日常的な怠慢や自己保身、他者への無関心が全体主義につながるという)『茶色の朝』の物語を引用し、それからでは遅いんだと訴えた」

この強制がどうおかしいと思ったのでしょうか。もはや大学に通う年齢に達している彼に欠けているのは、そういうところではないでしょうか。
その「おかしい」が「アタリマエ」のことを法制化することを指すのであれば、そこまでは正しいと思います。では、その「アタリマエ」のことが何故法制化されなければならなかったのかに思いを巡らせば自ずと答えは出たのではなかったのでしょうか。

まぁ、引用した内容こそ自分がしていることであることに気づくことすらなく満座の前で披瀝できてしまうほど、無知な彼ですから仕方ないかもしれませんね。

確かに遅いんですよ、だからこそ多くの人がネットなどで声を上げつつあるのです。法制化もせずに、真っ赤な思想が日本に蔓延ってしまえば破滅的な全体主義国家になってしまいますからね。
だからこそ、日教組教員の日常的な怠慢や自己保身、他者の意見への無関心というか排他的態度を改めねばならないのです。

>「二年前の入学後、学校の周年行事で先生が『家庭がキリスト教信者であるといった事情がある場合は、内心の自由があるので立って歌わなくてもいい』

内心の自由とは、心の中だけの話であり、意に染まぬことまで同じ色に染めることがないようにしなければならないということでしょう。国旗も国歌も宗教ではありません。信教の自由をその存在が制限することもありません。
こんなのが身近にいたらやりにくいだろうな。というか、会社でこんなことしていたら、解雇されるのがオチだと思うのですがね。

>現代社会の授業で先生が(不起立処分の方針を示した)都教委の通達を見せてくれ、事態が変わったと知った。

この教員の振る舞いには呆れますね。それ見せて、トホホな感じでも演出したのでしょうか。大人が子供に同情されるなよ。

>日本が平和を目指すのであれば、アジアの国に昔の軍国主義を連想させる君が代を強制的に歌わせるのはおかしいなと感じた。わたしたちはイラク戦争も目の当たりにしたし

アジアの国が君が代をどう思おうがそれは、何の関係もないでしょう。国旗や国歌に敬意を払うのは、儀礼行為であり、法制化されなければ国際的な儀礼である行為すら維持できないことこそ恥じねばならないことです。

「おかしい」と思うことは成長の素になりますが、「おかしい」を解き明かすことなく思考停止し、それを行動原理にするのは非常に危険なことです。それが正当化さえるなら、この世は何でも自分基準で恣意的な解釈ができるからです。

しかし、この辺の主張の展開の仕方は、サヨク教師のデッドコピーですね。ああ、気持ち悪い。紅兵衛じゃんこれじゃあ。

>「うちは父が都立校の教員で、父は起立していないと思っていた。先生にも思想・良心の自由があるじゃないですか。

「じゃないですか」ってダメなんですよね。年のせいかも知れませんけど・・・。

思想が自由だというのは、たとえ心中で邪まなことを考えようが、それだけでは罰することができないってことだけで、殊更声高に叫べるような権利だとは思いませんけどねぇ。かつては、「思う」ことさえも不自由していた、だからその呪縛から開放したということでしょう。

政府や国家を破滅させたいと「思う」ことは自由ですが、それを実行に移した段階で罰せられるのと、国旗・国歌を心から唾棄していても、それを実行に移したらその時点で罰せられるというのは同じではないでしょうか?

つまり、今はアタリマエのことが60年前にはアタリマエでなかったから条文化されたというだけで、無制限な思想を行動に移すことを是認することなどあろうはずもありません。

>「僕の場合は、たまたま中学生の時にクリスチャンの人がいた。国歌斉唱の時に歌わなかったね、と聞いてみたら、それは国を賛美することになるからできないと言われた。そういう考え方もあるんだなと初めて知った」

クリスチャンの方に質問です。

教義で国を賛美することは禁じられているのでしょうか?
そしてそれはワールドワイドなことなのでしょうか?

>「わたし個人は、君が代の歌詞の意味はある程度わかりますが、すべてわかって歌っていない。小学校の時から、国歌だよと言われて反射的に歌うよう刷り込まれている。歌詞について自由に考えられるようにするためにも、小学校上級生ぐらいになったら意味を教えてほしい」

「神」の如く扱われた天皇を「君」と呼び、その在位(若しくは寿命)を指して「代」と呼ぶことができたのは、誰なんでしょうね。
このいずれにも最大の敬称は用いられていませんが、それでもこの「子供」は

「天皇の時代は未来永劫栄える、喜ばしいことだ」

みたいな訳を教えられ、
天皇賛美→国家主義→戦争美化→軍靴の足音が・・・
というような飛躍論法をそれこそ日教組系の先生から「刷り込まれている」のでしょうね。

仮にそのような内容であったとしても、日本という国の象徴である天皇家が未来永劫栄える、繁栄するというのは、この国がずっと栄える=平和であり続けますようにと解釈するしかないように思える今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか? 

>「小学校二年生から中学一年生まで上海で暮らしました。当時、日本人駐在員の家族は今より少なくて、おのずと現地の子どもたちと遊び、地域の人に助けてもらった。住まわせてもらっているという感覚が強かった」

>「帰国して、自分が外国人ではなく多数派になった時に、在日コリアンの高校生から『わたしは日本に住まわせてもらっている立場かもしれないが、日本国旗に対して、あなた方が想像できないほどいやな思い、歴史があるんだ。わたしたち一人一人の感覚を、(日の丸・君が代強制をはじめ)あなた方の国の方針でつぶさないでほしい』と言われた。少数派の人たちに、住まわせてもらっていると思いなさいよ、自分たちの国の方針にのっかりなさいよというのは間違っているのかなと、その時思った。強制されている人たちのつらさがすごくわかった」

海外で生活して「住まわせてもらっている」感覚に目覚めたこの「子供」ですが、日本に住んでも、国民としての誇りを持たず義務を果たせない人達は、私からみれば「住まわせてやってる」人にしか見えません。
他国でできることが自国でできないのは、「甘え」以外の何者でもありません。

在日コリアンの高校生の話も、従軍慰安婦、強制連行などの刷り込みがあるのでしょうね。中国の日本人留学生が中国人を他意はないまでも中国(人)を愚弄したということで大騒ぎになったことを知らないのかな、この子は。

「郷に入っては郷に従え」という言葉も知らないのかな。在日コリアンの方々の祖先が仮に強制連行されたとしても、日本は一度たりとも帰国を制限したことはないんですけどね。
日本政府が日本人に向けて政策を立案し施行するのは、当然の話で、別に日本に限らずどこでも一緒でしょう。日本で生計を立てていて、本国に帰りたくない(帰れない)、だから日本に居ざるを得ないというなら、最低限の儀礼として日本のしきたりは守るべきでしょう。彼らへの差別が一切ないとは言い切れませんが、彼らが言う差別の殆どは被害妄想の範疇に入るものが多いと私は思います。差別されていると思うのは勝手ですが、そのことと差別されていることを混同すれば、彼らが「思った」だけでも差別になり得る可能性だってあります。

強制されているつらさ、と彼は言いますが、この日本の中で何ら強制されることなく生きている人間などいるのでしょうか?「つらさ」を感じれば強制を回避できる国など恐らくこの地球にはないんじゃあないでしょうか?

>「校長先生は『何かあったら言いに来てほしい』と言うくせに、実際は授業を前期・後期の二期制に移行させたりといった大事な話はすべて決まってから生徒に伝える。意見は聞いてもらえない。生徒がいなければ、学校は成り立たないはずなのに」

「生徒が居なければ学校は成り立たない」確かにそうかもしれません。これは、

「お客が居なければ店は成り立たない」と同じロジックですね。

この場合、店が成り立つためのお客の条件とは、何でしょうか?お客の義務でもいいですが。

それは店のサービス、商品に相当する対価を支払うこと(支払えること)でしょう。それでは、学校が成り立つための生徒の条件とは何でしょうか?生徒の意見を無制限に聞くことでしょうか?

学校が生徒に対して社会が要求している資質を伝授するというサービスの内容に対して、それを身につける努力をすること、ではないでしょうか?

カネを払わないでサービスを求める人間が客でないのと同様に、学業を修めるという義務及びそのために必要な立場を弁えていない生徒は、学校が成立するための生徒ではありません。主張を一切封殺するというわけではありませんが、学校の運営に生徒が介入するというのは、断じて許されることではありません。

>「都教委の通達は国旗と都旗を式典会場の正面に掲げると示しているけど、僕たちはその真ん中に校章をデザインした学校の略旗を掲げたいと考えて校長先生と交渉しました。高校生活三年間の部活動や行事、先生や友だち、その思い出を象徴する旗です。ところが、校長は『卒業式は文化祭や運動会とまったく違う式典だ。そもそも、どうしてそんなに旗にこだわるのか』と説明するだけで認めてくれない。校長先生が自分でそう思っているのか、東京都に言わされている立場なのか。腹を割って話したいのに答えてくれなかった」

「腹を割って話す」なんて教わる側が使う言葉では到底ありません。履き違えた自由や権利がどれだけ恐ろしいか、よく分かりますね。
ところで、この子がもし校長の発言に食らいつきたいなら、校長先生の「どうしてそんなに旗にこだわるのか」に噛み付かなきゃね。そんな言質を貰っときながら、自分の主張を有利に展開できない時点でダメダメです。

>「日本は米国などと違って、上から押さえつけられると押し黙ってしまう国民性がある。学校でも社会でも、言っても無駄だと思う世の中になることは心配です」

都合のいいときだけアメリカを持ち上げてもねぇ。確かにアメリカ人よりも日本人は従順かもしれませんね。権利ゴロ集団の国のアメリカと比べられるのもどうかと思いますが。
ただ、たとえ上から押さえつけられても、それが明らかにおかしいことであれば、そう、明確な根拠があるならば、唯々諾々と了承することはないでしょう。少なくとも、それを変えるだけの権利とそうさせないと思う国民はかなりの数に昇ると思います。
それよりも私は、大学生にもなって、モノの分別もできないアナタのことが心配です。

>「高校生活では、まず自分で考えろという僕たちにとっては良い先生が多かった。ところが、いまは教育行政が示す枠を生徒が超えちゃいけないという『教育』がどんどん学校に押し寄せています」

未熟で半人前で我儘な子供にとって良い先生は、社会的に見れば失格でしょう。高校生が自分で考えることは重要ですが、決定権を委譲するのは明らかに問題でしょう。法によって保護されている年代の人間には相応の制限が課せられて然るべきだからです。

教育行政が示す枠は万能ではないかもしれません。しかし、高校生が自侭に思う枠よりは格段にいいでしょう。

今回は全て「子供」の屁理屈ばかりでしたが、この彼らもいわば被害者なのです。サヨク思想に凝り固まった赤色教員が日々積み重ねた彼らという社会的なツケを払うのは、学外の社会の大人達なのです。

「紅兵衛」養成施設の振る舞いはもう許容範囲を大きく超えていると思います。そのツケで二進も三進も行かなくなる前に、社会構成員として身近な問題として監視していきたいと思います。


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KK

>日本が平和を目指すのであれば、アジアの国に昔の軍国主義を連想させる君が代を強制的に歌わせるのはおかしいなと感じた。

そもそも君が代から軍国主義を連想する人間っているんでしょうかね?
自分はそんな事想像すらできないです、ただ漠然と国家だから歌うだけです
君が代から軍国主義を連想できる人はある意味想像力豊かですねw
ところでまた出ましたねアジアの国発言w君が代反対なんて言ってるのは中国、韓国くらいなもんでしょ?w アジアの国なんて言わずにはっきり中韓って言えばいいのに・・・
そもそも日本の国家、国旗を他国にとやかく言われる筋合いないって話です
にしても君が代歌わなくて処罰された教師が裁判所に告訴したってニュースを昔見た時にびっくりしました、思春期の学生がそういう事言い出しんならともかくいい大人のしかも教師が?って当時中学生ながらこの人たちはそんなにお金が欲しいの?って思ってました。
嫌なら口パクでもしてればいいのにって、アホくさ!ってのが正直な感想でした。
ところでクリスチャンは国家を歌えないのでしょうか?それとも君が代だからでしょうか?

>小学校の時から、国歌だよと言われて反射的に歌うよう刷り込まれている。

それでいいんじゃないでしょうかね?別に歌詞を深く考えず国家として歌えばそれで、君が代の君はたしかにかつては天皇の世って意味だったとかもしれませんが、今の君が代は日本の平和の象徴である天皇がいる世つまり平和を愛する日本国民の世って感じで勝手に解釈してますw
にしても左翼の方々はどうすれば満足なんでしょうか?国家変えたり国旗のデザイン変えれば満足なんでしょうか?別にそれで何かがかわるわけでもなければ戦争があった過去が消えるわけでもないのに・・・ようわからんです。

by KK (2005-05-31 02:31) 

FD3S

KKさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>そもそも君が代から軍国主義を連想する人間っているんでしょうかね?
>君が代から軍国主義を連想できる人はある意味想像力豊かですねw

想像力と言うか、妄想力でしょうねぇ(爆)。彼らは兎に角「天皇が嫌い」に尽きるのだろうと思います。だから、天皇に繋がるもの、神話も嫌いだし、古くからの迷信も伝統も嫌いなんですよね。男子による万世一系という考え方に反発して男女平等、ジェンダーフリー、夫婦別姓に婚姻制度反対まで繋がります。
まぁ、食べれると思ったら、何にでも食いつき、気に食わなかったらほえまくる野犬のようなもんですからね、彼らは。

>また出ましたねアジアの国発言w君が代反対なんて言ってるのは中国、韓国くらいなもんでしょ?w アジアの国なんて言わずにはっきり中韓って言えばいいのに・・・

アジアと言いたいならせめて東アジアとか極東アジアとか正確に使って欲しいもんですね。

>そもそも日本の国家、国旗を他国にとやかく言われる筋合いないって話です

国旗も国歌も他国のそれに干渉するのは、極東の3バカだけですよね。自分達が同じことされたら、戦争するぐらい怒り狂うと思うのですが。ここにもサヨクな人達と同じ構造が見れます。人に為すことを自分にされるのを絶対許さない我儘なところが。

>君が代歌わなくて処罰された教師が裁判所に告訴したってニュースを昔見た時にびっくりしました、
>思春期の学生がそういう事言い出しんならともかくいい大人のしかも教師が?って
>当時中学生ながらこの人たちはそんなにお金が欲しいの?って思ってました。

子供の目からも異常でしょうね。それをかわいそうと思う子はこの記事のような感じになるのでしょうね。それを優しさというべきか、感受性に富んでいるというべきかは分かりませんが、自分で考えることができないことだけは確かなようです。

>嫌なら口パクでもしてればいいのに
それもやってるようですよ。それがあまりにも目に余ると広島のように声量までチェックしなければならなくなるのです。

>ところでクリスチャンは国家を歌えないのでしょうか?それとも君が代だからでしょうか?

これはどうなんでしょうね。そんなことはないと思いますけどね。クリスチャンと言っても様々な流派があるのかもしれません。

>別に歌詞を深く考えず国家として歌えば

国歌だから歌う、で十分だと私も思います。それと日本人だから日本の国旗と国歌に敬意を払う、って感じで十分だと思います。妄想を持ち込む領域ではないと思いますがねぇ。

>君が代の君はたしかにかつては天皇の世って意味だったとかもしれませんが、今の君が代は日本の平和の象徴である天皇がいる世つまり平和を愛する日本国民の世って感じで勝手に解釈してますw

私もそう考えてます。改憲議論の中で元首とするかという意見もあるようですが、それでも呼称のみで「象徴」という地位は変えないようですし。私は天皇=平和=日本の象徴であり、イメージであると思います。だからこそ、尊いというのが以上でも以下でもない感覚です。

>にしても左翼の方々はどうすれば満足なんでしょうか?国家変えたり国旗のデザイン変えれば満足なんでしょうか?別にそれで何かがかわるわけでもなければ戦争があった過去が消えるわけでもないのに・・・ようわからんです。

それについては、こちらを見てください。面白いですよ。但し、強力な電波が出ていますので、程ほどに(笑)。
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/html/99/hinokimi.htm
by FD3S (2005-05-31 03:48) 

SEI

おはようございます。
取り上げてくださってありがとうございます!またまたGJです!
千葉県教組のページも見ました。まれに見るほど、つっこみどころ満載ですね(笑)。
内容以前に、文体が統一されていないこと(「ですます調」が突然「である調」に)、特にQ16で唐突におちゃらけキャラになったりするところなんか、明らかに複数の人物による執筆であるか、または単にいろんな文献等からの寄せ集めであることの証左ですね。
by SEI (2005-05-31 09:20) 

瑠璃子

このクリスチャンって上に「統一」とつく教会に通っているんじゃないすかね?それはさておき。
神父・牧師は左系の方が多いようですね。たしか、あの有名な松井やより氏の父上もそうでした。朝生出た際に「私の父はクリスチャンなので虐殺はしません。(私の父は中国人を)殺さなくてもいいように、 ハンストみたいに非常に抵抗して、それはこっそりとですよ。それから通信部隊といって殺さなくてもいい所へ入ったんです。」などと意味不明なコメントをしてたり。
戦前、治安維持法で弾圧されたから天皇憎しっていう感情がいまだに染み付いているんじゃないすかね。まあどこまでリアルな話が伝わっているかは問題ですが。
私は中学生の頃「日韓は過去の歴史を水に流して新しい関係を築くべきだ」という作文を書いて、教師に見せたら「もっと勉強しなさい」と怒られたことがあって、今から思えばああいう形で思想矯正(強制)を図っているんだなと実感。
高校生に「いじめないでください」と言わせるような教師って情けないですね。
>生徒がいなければ、学校は成り立たないはずなのに
ここ、あからさまにおかしいですよね。だってアンタが望んでいったんでしょ?試験まで受けて。嫌ならいかなきゃいいじゃない。無駄に高校行くよりも働いて社会を支えてくださいよって思いました。自分が望んで行ったことに対し、責任もとれないようじゃおしまいです。権利には責任と義務が伴うものだということを教えてやらないと、この教師どもが年金支払われる頃に「なんで役立たずの老人どもを俺らが支えなきゃいけないだ!」といわれるのがオチという気がします。

ああそれと。これはお気を悪くされたら大変申し訳ないのですがごめんなさい。
あの…紅衛兵じゃなかったでしたっけ…。当方の間違いならすみません。
by 瑠璃子 (2005-05-31 09:52) 

KK

>男子による万世一系という考え方に反発して男女平等、ジェンダーフリー、夫婦別姓に婚姻制度反対まで繋がります。

まあ、男である自分からしても男女平等っていうのは賛成できるんだけど・・・
守られるべきは男女機会均等法であると思ってます。
しかし実際問題として体力面の仕事なら女性より男性のほうが有利だし
女性は結婚をすれば退社(もしくは妊娠すれば産休をとる)していくために雇いにくい面があるというのも事実なわけですし、完全な男女の機会の均等なんて所詮無理なんだと思います、男には男の女性には女性の向いた仕事限定の仕事があることは差別でもなんでもないと思います。
そもそもジェンダーフリーには前々から疑問がありますカメラマンって言葉も男女差別とか言って名前変えたらしいしナースって言葉も看護師って言葉に代えたしスチュワーデスも客室乗務員ってそれで何がかわるの?って疑問なんですよね・・・・
ちび黒サンボって童話が昔あったけどこれが黒人差別っていって廃止させたらしいし(これはジェンダーじゃないかも)ネタなのかなんなのかよくわからないけどコイノボリが雄鯉と雌鯉どっちがうえであるべきかとか論議したっていう話ですし・・・・
ところでリンク先みさせて頂きました、あまりにアレで頭がクラクラするんですがw
これに突っ込みをいれるんでしょうか?
どうか体を壊さない程度にほどほどに休憩をいれながら突っ込んで下さいねw
いっぺんに突っ込みいれたら僕なら間違いなく壊れますw
by KK (2005-05-31 10:11) 

EyesOnly

恥ずかしいことに私は小学校、中学校と赤教師の中で育ってきていたため高校になって初めて「君が代」を国歌を歌うことができるようになりました。それまでは大相撲の表彰式に流れている曲というぐらいしか認識がなかったんです!
教育現場での思想教育の恐ろしさを身をもって経験しています。我が子には同じ轍を踏ませぬよう注意深く見守って行きたいです。
by EyesOnly (2005-05-31 13:21) 

あんとに庵

わたくしはカトリックという教派のクリスチャンであり、カトリックの学校に通っていましたが、日の丸君が代については当たり前に歌う。敬意を払う。という感じでしたね。というか、そもそもそれを云々するなどという概念そのものがありません。しかも姉妹校からは皇室に嫁いだ人がいたぐらいですから、天皇家のファンは多かった。強制とかいう以前に、敬意を払うのが当たり前だと思います。それは自明のことというか、寧ろ云々する人が登場したこと自体、驚きです。
カトリックに左派が多いという印象は一部の声のでかい人のせいです。カトリックはもともとノンポリが多く、しかも曾野綾子、「国民の教育」の渡辺昇一氏といった過激な「右翼」もいます。政治的には自由だったハズですが一部の高位聖職者がオルグされている為に対外的にそういう印象を持たれています。まったく困ったことですが、最近そういう動きに対し内部から批判が高まっています。
尚、私の師匠である神父は現代の「ノンポリ」ですが、団塊の世代で、学生運動に巻き込まれていました。当時は「右翼活動家」で、三島由紀夫の縱の会とか石原さんのとこから勧誘が来たといっていました。政治活動してるつもりはなく、「日本人として当たり前の主張をしていたつもりだっただけなんだけどね。」というのが本人の弁。
by あんとに庵 (2005-05-31 18:55) 

FD3S

SEIさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>取り上げてくださってありがとうございます!またまたGJです!

こちらこそ、素晴らしいネタをご紹介下さいましてありがとうございます。

>千葉県教組のページも見ました。まれに見るほど、つっこみどころ満載ですね(笑)。

でしょ?(笑)。初めてみたとき、ひっくりかえりそうになりましたよ。

>内容以前に、文体が統一されていないこと(「ですます調」が突然「である調」に)、特にQ16で唐突におちゃらけキャラになったりするところなんか、明らかに複数の人物による執筆であるか、または単にいろんな文献等からの寄せ集めであることの証左ですね。

文体の変化は私も気になりましたが、確かに寄せ集めかもしれませんね。
真面目に頑張る先生達のためにも、こういう不逞な輩はしっかりと処罰して欲しいと思います。教育の崩壊は社会にとっても非常に由々しき問題です。
この手のニュースをネタにしないでいいようになってもらいたいです。その日までしつこく、ネタにしようと思いますが。
by FD3S (2005-06-01 00:02) 

FD3S

瑠璃子さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>このクリスチャンって上に「統一」とつく教会に通っているんじゃないすかね?

どうなのでしょうねぇ。天皇制に繋がるであろう、国旗・国歌に過剰反応を示すあたり、只者ではないことだけは確かですが。

>神父・牧師は左系の方が多いようですね。たしか、あの有名な松井やより氏の父上もそうでした。朝生出た際に「私の父はクリスチャンなので虐殺はしません。(私の父は中国人を)殺さなくてもいいように、 ハンストみたいに非常に抵抗して、それはこっそりとですよ。それから通信部隊といって殺さなくてもいい所へ入ったんです。」などと意味不明なコメントをしてたり。

あんとに庵さんのコメントによれば、やはりそういう人達は少数派のようですね。ただ、声がでかくて、影響力がある人達がオルグされて全体的にそのような印象をもたれる傾向にあるのかもしれませんが。
やよりちゃんの、その発言は迷言ですよね。それでそんな激しく他人を糾弾してたのか!って感じです。

>戦前、治安維持法で弾圧されたから天皇憎しっていう感情

そのような恨み節もあるのかもしれませんね。ただ、本来の教義ではそうであっても許さねばならないような気もしますけど。

>中学生の頃「日韓は過去の歴史を水に流して新しい関係を築くべきだ」という作文を書いて、教師に見せたら「もっと勉強しなさい」と怒られたことがあって、今から思えばああいう形で思想矯正(強制)を図っているんだなと実感。

おお、幼き頃よりそのような真っ当な感覚をお持ちでしたか。強制的矯正ではなかったことは、むしろ幸いなことなのかもしれませんね。

>高校生に「いじめないでください」と言わせるような教師って情けないですね。

「負うた子に教えられる」ことは、往々にしてあるかもしれません。でもこれはそれとはまるっきり違います。ただただ、情けないだけですよね。

>無駄に高校行くよりも働いて社会を支えてくださいよって思いました。自分が望んで行ったことに対し、責任もとれないようじゃおしまいです。

私はこの年になって、ようやく大学で学んだことの意義を見出せましたが、それまでは、早く就職した人に負けないように仕事を覚えることに必死でした。
一人前の仕事ができるまで、大学を出たことは自己都合であり、人生の汚点ぐらいの気持ちで仕事に臨んだものです。
この記事の子らのように、間違った自我を形成した子たちは得てして高学歴なのかもしれません。でも、大切な何かを身につけずに得る学歴には、何の意味もなく、弊害の方が多いような気がします。

>権利には責任と義務が伴うものだということを教えてやらないと、この教師どもが年金支払われる頃に「なんで役立たずの老人どもを俺らが支えなきゃいけないだ!」といわれるのがオチという気がします。

この教員達だけがそのような憂き目にあうならいいんですけどね。それ以外の人にまでツケが回ってきそうで嫌ですよね。

>ああそれと。これはお気を悪くされたら大変申し訳ないのですがごめんなさい。あの…紅衛兵じゃなかったでしたっけ…。当方の間違いならすみません。

あああ!ホントだ!ってずっと「こうべえ」と思ってました。過去のエントリにもそう書いてたような・・・・。恥ずかしい!穴掘って入ってきます。
お気を悪くするなど、とんでもないです。ご指摘に感謝いたします。
by FD3S (2005-06-01 00:20) 

FD3S

KKさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>まあ、男である自分からしても男女平等っていうのは賛成できるんだけど・・・守られるべきは男女機会均等法であると思ってます。
>しかし実際問題として体力面の仕事なら女性より男性のほうが有利だし
女性は結婚をすれば退社(もしくは妊娠すれば産休をとる)していくために雇いにくい面があるというのも事実なわけですし、完全な男女の機会の均等なんて所詮無理なんだと思います、男には男の女性には女性の向いた仕事限定の仕事があることは差別でもなんでもないと思います。

機会をいかに均等にするかが、本来あるべき姿なのだろうと思います。スタートを同じにして、あとは実力勝負みたいな。私は研究職ですが、女性にも多くの、それこそ、びっくりするぐらい優秀な研究者がたくさんいます。そのような方々が、出産、育児をハンディキャップにすることなく仕事を継続したいと思うときにどうするのかは、今後さらに検討されるべきだと思います。
問題なのは、管理職の女性の割合がどうだとか、女性の教授数はどうだとかいう単純な結果の数字で批判することです。
同じ数の男女が同じスタートで同じコースを走る場合に差がでるのは、個人の資質の問題です。それを結果から女性不利と断じるのは、差別でしかありません。特別扱いしなさいよっていう。
私は、旧来の家族・家庭の在り方に問題はないと思いますが、出産・育児や家庭のことで、レースが不利にならないようにすることは必要かなと思います。
ただ、仕事の選択でもそれぞれの「らしさ」を排除しては成り立たなくなる業種も業態もあるのですから、彼らの主張はおかしいと言わざるを得ませんね。

>そもそもジェンダーフリーには前々から疑問があります。カメラマンって言葉も男女差別とか言って名前変えたらしいしナースって言葉も看護師って言葉に代えたしスチュワーデスも客室乗務員ってそれで何がかわるの?って疑問なんですよね・・・・

名前を変えても本質的な問題解決にはならないのですが、彼らはそういうところからまず、侵食しようとします。尤もその主張に論理的な正当性がないからそういう瑣末なことをグジグジ言うのかもしれませんが。

>ちび黒サンボって童話が昔あったけどこれが黒人差別っていって廃止させたらしいし(これはジェンダーじゃないかも)ネタなのかなんなのかよくわからないけどコイノボリが雄鯉と雌鯉どっちがうえであるべきかとか論議したっていう話ですし・・・・

学校の名簿も男女混合にすべし、なぜなら男が先で女が後というのはオカシイって言うんですよね。でも名前順にしたら、アイカワ君はいつも先で、ワタナベさんはいつも最後なのは変らないですけどね。そういうところは無問題なんですよ彼らは。バカ丸出しですよね。

>ところでリンク先みさせて頂きました、あまりにアレで頭がクラクラするんですがw

でしょ?もう見つけたときは、ネタ発見!って思ったんですけどね。読んでるうちにあまりの手強さに後ずさりしそうになりました(笑)。

>これに突っ込みをいれるんでしょうか?
どうか体を壊さない程度にほどほどに休憩をいれながら突っ込んで下さいねw
いっぺんに突っ込みいれたら僕なら間違いなく壊れますw

ええ、少しずつ小出しにしていきたいと思います。あれだけのモノは中々めぐり会えませんからねぇ。いっぺんにツッコミ入れたりしたら致死量を超えるかもしれませんので、注意したいと思います。
by FD3S (2005-06-01 00:46) 

FD3S

yasu-oさん、いらっしゃいませ!
コメント+nice!どうもありがとうございました。

>恥ずかしいことに私は小学校、中学校と赤教師の中で育ってきていたため高校になって初めて「君が代」を国歌を歌うことができるようになりました。それまでは大相撲の表彰式に流れている曲というぐらいしか認識がなかったんです!

そうなんですか。
私は小学校、中学校とも良いも悪いも特になく、ただ歌っていただけでしたが、幸いそれが国歌であることは知っていました。身近に赤色先生が居たのか居なかったのか記憶にありませんが。

>教育現場での思想教育の恐ろしさを身をもって経験しています。我が子には同じ轍を踏ませぬよう注意深く見守って行きたいです。

そうですね。次代を担う子供達が誤った道に進まないようにすることは大人の責任だと思います。学校に任せるだけではなく、地域、社会が一丸となって何とかできないのかなぁと思います。
サヨクな人達から守ることも勿論そうですが、彼らが言うようにもしこの国が誤った道に進みそうになったらそれを糾し、子供達を守るのもまた大人の責務であろうと思います。
by FD3S (2005-06-01 00:52) 

FD3S

あんとに庵さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございました。

>わたくしはカトリックという教派のクリスチャンであり、カトリックの学校に通っていましたが、日の丸君が代については当たり前に歌う。敬意を払う。という感じでしたね。というか、そもそもそれを云々するなどという概念そのものがありません。しかも姉妹校からは皇室に嫁いだ人がいたぐらいですから、天皇家のファンは多かった。強制とかいう以前に、敬意を払うのが当たり前だと思います。それは自明のことというか、寧ろ云々する人が登場したこと自体、驚きです。

やっぱりそうですよね。そうだと思っていたのですが、実際の信者の方からのお考えをお聞きしたくて断定はしませんでした。きっと枇杷さんとかあんとに庵さんが反応してくれるかな?と思って。
状況をご説明頂きましてありがとうございました。

>カトリックに左派が多いという印象は一部の声のでかい人のせいです。カトリックはもともとノンポリが多く、しかも曾野綾子、「国民の教育」の渡辺昇一氏といった過激な「右翼」もいます。政治的には自由だったハズですが一部の高位聖職者がオルグされている為に対外的にそういう印象を持たれています。まったく困ったことですが、最近そういう動きに対し内部から批判が高まっています。

確か、行き過ぎた性教育を国会で糾した山谷えり子さんもカトリックではなかったでしょうか?どこかでそのようなことを読んだ記憶があります(気のせいかもしれませんが・・)。

>尚、私の師匠である神父は現代の「ノンポリ」ですが、団塊の世代で、学生運動に巻き込まれていました。当時は「右翼活動家」で、三島由紀夫の縱の会とか石原さんのとこから勧誘が来たといっていました。政治活動してるつもりはなく、「日本人として当たり前の主張をしていたつもりだっただけなんだけどね。」というのが本人の弁。

日本人としてアタリマエの主張をしていただけ・・・その自然体が良いですね。国を思う気持ちなんてのも、実際は親を大切に思うのと大差ないと私は考えています。自分の親を思うように自分の生まれた国を大切に思う。窮屈に考えずに自然に出てくる感情。それでいいと思うんですけどね。だから、本当なら、国旗や国歌を法制化して強制するのは間違いなんですよね。国から親を大切しtろとか、敬えとか言われるようなものですから。ただ、そう言われないとそんなアタリマエのことができないことの方が遥かに問題なんですが。
by FD3S (2005-06-01 01:01) 

黄泉若宮

「"何を"云ってゐるか」と「"誰が"云ってゐるか」を言論と謂ふ立場で比較した場合、前者の方が重要である事は御理解頂けるかと思ひます。

さて、「罵倒が混じってゐる」と指摘した件に附いてですが、勘違ひをしてをられるやうですので改めて述べさせて頂きます。(或る意味では吾の勘違いでもあります。)
「其は子供の意見だ」と云ふのは批難(批判とは異なる)です。
此は子供が云って(事実を指して)ゐる、大人が云って(譬喩として)ゐる、に拘はりません。「子供」と云ふ"物差"で測ることが問題なのです。「子供の意見」とは云ふのは客観的な批評ではありません。実のところそれは「子供」と謂ふ言葉の否定的側面を強調した揶揄に過ぎないのです。
貴方は記事の中で「子供を出しにする」と批判してをりました。けれども同じ記事の中で「子供」を出しにしてゐます。

痛快な批評を楽しめる中で、斯ういった曲が附くのは勿体無く思ひます。(って曲附けてるのは自分なのですが……。)
by 黄泉若宮 (2005-06-01 02:39) 

FD3S

黄泉若宮さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

いやぁ、目から鱗がぼろぼろ落ちました。読ませて頂いて、暫く唸りましたよ。
成る程、仰るとおりです。確かに発言の中身ではなく、発言の主に拘ったきらいがありました。

恥ずかしながら、ご意見をまるで忖度できずにすっかり勘違いしていました。
ご指摘の内容は、私の視座から完全に抜け落ちていました。偏りを批判しながら偏っていては、もはや論足りえません。
いやぁ、ホントに勉強になりました。ご指導どうもありがとうございました。
by FD3S (2005-06-01 02:54) 

瑠璃子

FD3S氏、大変失礼ですがこの場をお借りします。

あんとに庵さま。
御指摘ありがとうございます。なるほど確かにおっしゃるとおりです。私が近視眼的に物事を判断しすぎておりました。お詫びして訂正します。ソネットブログユーザーは自分の発言を訂正できるのですが、これはこのままといたします。その代わりこの一文を付与いたします。申し訳ありません。大変失礼いたしました。
自分なりに、なぜこのように思い込んでいたかと考えるに、彼らのせいにするわけではないのですが、いわゆる左な方は、やたらキリスト教を免罪符、というか、クリスチャンだから、と主張しているような気がします。右よりといわれる方々はあまり主張されないですね。不思議ですが。

なににせよ、大変失礼かつ御迷惑をおかけいたしました。
謹んでお詫び申し上げます。
by 瑠璃子 (2005-06-01 14:53) 

あんとに庵

FD3S様>どもです。
>日本人としてアタリマエの主張をしていただけ・・・その自然体が良いですね。
ど左自然薯さん達は、変な個人主義というか、帰属意識、もしくは集団というのを嫌う傾向があるわりに徒党を組む。その構造が不思議ですよね。つまり「自ら選ぶ」ということがキーワードなのでしょうが、単なるエゴが拡大しているだけのようにも見えますね。
瑠璃子様>お気づかいなく。というか、瑠璃子さんのが世間から見た正しい認識です。
寧ろその違和感をど左翼司教達にどんどんぶつけて欲しいほどです。正直、我々も困っているんですよ・・・(^^;;
>右よりといわれる方々はあまり主張されないですね。
まず、聖と俗の領域をきちんとわけているからだと思います。司祭は聖域を背負うものとしての分をわきまえているし、信徒は自らの政治活動をカトリックに負わせる気は無い。それが伝統的なあり方で、つまり責任所在や分際をわきまえているのですが、自然薯系のサヨク運動家は確信犯的に「カトリック」というブランドと組織とを利用しているのです。しかも日本の高位聖職者が取り込まれている。
こうした状況をバチカンは今の処、傍観しているようですが、たびたび司教がバチカンに呼ばれ叱責されているとも聞きます。しかし地理的に遠いので放置状態なのか、もしくはバチカンになんらかの意図があって放置なのかは不明ですが、言語的な問題も横たわっているようです。ただ新教皇は保守といわれ、神学思想的にあきらかに今の司教達とは対立します。
by あんとに庵 (2005-06-01 17:52) 

FD3S

マルチレスで失礼します。

>瑠璃子さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございました。
>FD3S氏、大変失礼ですがこの場をお借りします。

全然、無問題です。じゃんじゃん使ってください。
瑠璃子さんの見解ですが、私も同じように感じていました。ただ、何度かあんとに庵さんの記事を拝見したり園丁日記の枇杷さんのところにお邪魔したりしていたので、できれば信者の方からコメント頂いた方がよろしかろうと思い、このような形をとりました。
実際、サヨク的な人の数は思ったよりも少なくて、宗教を前面に出している人もまたごく一部だろうと思います。しかし、肩書きがでればその宗派全体がさもそうであるかのように見えてしまうところもあります。
その辺は、有識の方々にお尋ねしながら私も記述していきたいと思います。

>あんとに庵さん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございました。

宗教の話は、外部の人間にはわかりにくいのですが、詳細にご教示頂いてありがたく存じます。高位な方々が本意ではなく取り込まれているのであれば、サヨクな人達からその方々も奪還せねばなりませんね。
by FD3S (2005-06-02 18:50) 

犬笠銀次郎

昨日、宮台真司のサイトでトーク・オン・デマンドのプレビューを見た。「朝まで生テレビ」をはじめとする従来の大手のテレビ討論では見られない小室直樹や中村修二が出ていた。入会に月額 500 円必要とのことなので、迷っているが、多分ド貧民の自分には無理だろう。

こういう、従来のケーブルテレビのように地理的に固定されない、ローカルなメディアがもっと出てきてくれるといいのだが。その方が内容も充実するし、大手メディアのように取り扱う内容が画一的になることもない。そして、こういう活動が増えてくれば、既に「寡占状態」に陥っている国内のヘッポコな情報配信状況に、本当の意味(≠ホリエモンが主張していた意味)で「風穴を開ける」ことになるだろう。

そうなれば、例えば以下のサイトに代表されるような、「左翼 vs. 右翼」式の二項対立(イラク戦争以後は 「左翼 vs. 親米右翼 vs. 反米右翼」の三項対立に変わったようだが、大した変化ではない。)でしか物を見れない考え方も次第に解消されるだろう。

対抗言論のページ (http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/)
日の出講芸 (http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei)
憂国ユウコの日記 (http://dklog.jp/u/yuuko999/)
長尾誠夫の HOTPAGE (http://homepage1.nifty.com/1010/)

上の連中のサイトを見てると、素人の自分にもよく分からない主張が出てくる。代表的なものを挙げるなら、小泉氏の靖国参拝の件と卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の件だ。

小泉氏の靖国参拝に関しては、「中韓に媚びず断固として終戦記念日に参拝せよ!」 vs. 「中韓に対する謝罪の意思も込めて即刻中止せよ!」という二項対立が有名だ。小泉氏が靖国に参拝しようがするまいがどっちでも良いが、参拝するなら中韓の感情を徒に煽らないように最大限努力するべきだし、参拝をやめるなら国内的不満を解消するべく中韓から日本の利益になるようなことを引き出さなくてはならない。二項対立野郎どもの提案はこのいずれも満足していない。

先に言っておくが、「中韓がいなくてもアメリカ様と一緒なら『国益』は保持されるらむ〜〜〜」とか「『国益』を捨ててこそ真の謝罪らむ〜〜〜」とかやめろよ。中国・韓国への文化的・経済的依存度を知っているなら、今の時代「脱亜入欧」はあり得ない。そして、日本政府は日本国民に対してしか責任を負わないのだから、日本政府が主体になる以上は、どうあっても最終的には日本の「国益」にかなうようしなくてはならない。(たとえ、日本政府が「XX の国のことを考えて」「国際社会のことを考えて」と言ったとしても。)

結局、二項対立野郎は、こういう具合に「外交というのは慎重かつ丁寧な交渉の連続である」という基本的事実を理解していない。因みに今日、小泉氏は「靖国参拝に関して他国から干渉される筋合いはない」などと、あろうことか中韓を刺激する内容の発言をした。いらんこと言わなきゃいいのに。

卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱に関しても、意味不明なことが多い。(I) 国旗・国歌の成り立ちに関する歴史を知らないか、知ってても言わない連中が多い。(II) 戦中の歴史を省いたとしても、国旗掲揚・国歌斉唱の強制には問題があることをわかっていない連中が多い。

国旗に関しては、明治期に国際法の関係で、船舶に国旗を掲げなくてはならず、それまで慣例として「日の丸」を使っていたので、政府が国民的合意を無視して、場当たり的に国旗に指定した。国歌に関しても、「君が代」はイギリス人作曲、ドイツ人編曲の歌だ。しかも旋律がグレゴリオ聖歌を真似たものらしい。

というわけで、フランスの三色旗やアメリカの星条旗のように「日の丸」にはメッセージ性がない、つまり「日の丸」を国旗たらしめる理念がない。そして、「君が代」も日本オリジナルではない。つまり、「君が代」を国歌たらしめる合理性がない。本当の「右翼」なら、「何の理念も込められてない旗が我が国の国旗なんてあり得ない! 外国人作曲の歌が日本の国歌なんてあり得ない!」となるはずなのだが、なぜかそうはならない。

そして、そんな歴史的なことを無視したとしても、国旗であろうと国歌であろうと、日本国内で何かを「強制」をすることは、本来なら「思想の自由」「行動の自由」に反するのである。「法律=国家から国民への命令」で強制するならなおさらだ。国旗を掲げる自由があるなら、国旗を掲げない自由があっても良い。国歌を歌う自由があるなら、歌わない自由があっても良い。その選択を否定するということは、他人の自由に枷をつける行為に他ならないからだ。国家の命令を遂行する義務のある公務員ならまだしも、私人にすぎない学生にはその選択権は認められてしかるべきだ。学生の人も、国旗・国歌に反対するなら、堂々とボイコットしたら良いと思う。崇高なメッセージの無い国旗に敬意を払い、かつ国家的オリジナリティーの無い国歌を歌わなくては、式への参加を認めない独善的な卒業式なんか、無視してやれ。

長尾誠夫 氏のサイトを見てると、「大多数の意見を尊重するのが民主主義の原則だから、「強制」は当然らむ〜〜〜」的なことが書いてあった。誰が書いたか知らんが、アホか、と思った。少数の意見も尊重するのも民主主義の原則だ。他にも、「大多数の賛同」=「全体の賛同」、「少数の反対」=「反対無し」と数学者が聞いたらビックリするような、およそ集合論的には成立しないような主張を展開していた。こんな馬鹿げた主張を堂々と自身のサイトにのっける氏の論理的思考能力を疑わずにはいられない。長尾氏の生徒さんらには心から同情する。自分も中高時代はワンサカいるバカ教員にさんざん虐げられ、ついには急性胃腸炎になったこともあった。

面白い話を一つ紹介しよう。アメリカでは 1989 年に国旗保護法ができ、これに反発する連中が国旗を燃やして起訴されたが、シアトル連邦地裁でこの法が憲法違反であるとの判決が出た。「旗を振る権利」と「旗を損なう権利」の両方を保護してこそ国民全体の自由が約束されることになるからだ。

真なる「保守」の精神とは、どんなに自分に対して攻撃的でも、それを真っ正面から受け入れる「どっしり」とした精神のこと。国歌や国旗をけなされたからと言って、ヒステリックにギャースカ喚く奴には「保守」なる精神があるとは言えない。真なる「革新」の精神とは、誰に対しても自分の思うことを論理的かつ冷静に伝え、自分の理想を実現するために行動し、その結果に対し責任を負う「しなやか」な精神のこと。自由と無秩序の違いがわからない奴には「革新」なる精神があるとは言えない。

<参考文献>
「M2 われらの時代に」(宮台真司、宮崎哲弥 共著、朝日出版社 刊)
「朝日新聞 天声人語 '90 夏」(朝日新聞論説委員室 編、原書房 刊)

異質なものを自分たちの生活空間からただひたすらに排除しようと試みる田
吾作どもの「愛国ごっこ」はいつまで続くのか?
by 犬笠銀次郎 (2005-06-18 15:23) 

FD3S

犬笠銀次郎さん、はじめまして!ようこそ拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございます。

実に詳細にコメントいただきましたが、ちょっと睡魔にやられております。
折角頂きましたコメントですので、じっくり時間をかけて返事させて頂きたいと思います。明日にでも返事申し上げますので、少々お待ち下さい。
by FD3S (2005-06-19 04:20) 

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