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クリティシャン

クリティシャン

私はエンジニアなのですが、現在は研究開発にも従事しています。研究開発で重要な資質のひとつにクリティサイズ(批判)することがあります。

ただし、学会その他の場で批判ばかりして、自らの研究成果が思わしくなければ、発言しても聞いてもらえなくなります。旺盛な批判精神は発明の原点であり、次のステップに進む活力にもなりますが、それは必ず何か具体的な結果を出すということを前提にしています。

ところが政界では、結果を出すものを批判するだけで事足れりとする人が多いようです。

Sankei Web 政治 「日本外交の弱点を露呈」 対北決議で共産委員長(07/18 17:35)

共産党の志位和夫委員長は18日午後、北朝鮮に対する国連安全保障理事会の非難決議採択に関連し「米中両国が実際はコンセンサスの方向で動いている時に、日本だけこぶしを振り上げ、最後はやむなく従った格好だ。(日本政府が)まともに近隣諸国と外交関係を持っていない弱点が露呈した」と批判した。CS放送朝日ニュースターの番組収録で語った。

決議については「全会一致での可決は非常に重要なことだ。北朝鮮は正面から受け止め、従うべきだ」と述べた。

>「米中両国が実際はコンセンサスの方向で動いている時に、日本だけこぶしを振り上げ、最後はやむなく従った格好だ。(日本政府が)まともに近隣諸国と外交関係を持っていない弱点が露呈した」と批判

先のエントリの山拓氏も民主党のお歴々もそして共産党もどうして、こう蒙昧なんでしょうか。
共産党的に言えば、強権発動を回避すべきと主張し、結果そのとおりになったのですから、それを歓迎することはあっても批判するというのは、どうなんでしょうか。あり得ないことですが、仮に中露ともに、強権発動に賛成した場合、彼らはそれはそれで、発案した日本政府を批判したことでしょう。

つまり、最初から「無罪」という選択肢がない、二者択一を迫ったようなものであり、「卑怯」の極みでしょう。もっとも、共産党だしなあと思いもしますが、日頃標榜している「確かな野党」というのは、旧社会党のように動くもの全てに反応して「反対」という存在のことなのでしょうか?残念ですね。

また、これも繰り返し先のエントリなどでも書きましたが、「まともな近隣諸国との外交関係」の有無と今回の対応の結果には、因果関係は見出せないでしょう。なぜなら、中国が仮に日本と友好関係にあっても、北朝鮮の保護者としての立場を放棄するとは考え難いからです。

冷蔵庫にあるものを何でも美味しい料理に変えるのは素晴らしい能力ですが、因果関係のない事柄をもって、ただただ批判するというのは愚かしいだけです。

>決議については「全会一致での可決は非常に重要なことだ。北朝鮮は正面から受け止め、従うべきだ」

矛盾してますね。全会一致の可決が非常に重要である、ということが理解できるのであれば、最終的に落としどころを見出した今回の結果は、批判するよりも、賞賛すべきではないでしょうか。
仮に日本政府が強硬な発案をせずにいたら、中国は北朝鮮を説得するというチャンスを得ることができなかったでしょう。中国としては北朝鮮の庇護者としての立場から、引導を渡すという役割(ある意味では踏み絵ですが)を担えたのですから、うまくやれれば国際的な評価を独り占めすることだってできたのです。それは日本の強硬な発案のおかげでしょう。結果を出せなかったのは彼らの力量が足りなかった、もはや彼らのコントロールが効かなくなったことの証左であり、その結果を踏まえた、今回の決議は評価に値すべきことでしょう。

国民の生命と財産を守るべき日本政府はときに毅然とした決断をすべきときも必要になるでしょう。それを国際的に示せたというだけでも、今回は収穫であったとみるべきではないでしょうか。

Sankei Web 政治 小沢代表、7章削除を批判 「最初の勢いはどこへ」(07/17 12:28)

民主党の小沢一郎代表は17日、都内で開かれた小沢氏主宰の「政治塾」で講義し、国連安全保障理事会の北朝鮮非難決議に関連し「最初の勢いはどこへやら、(政府が求めていた)制裁という(国連憲章)7章の中身を削除せざるを得なくなった」と指摘、政府の外交を批判した。

小沢氏は「珍しく日本が先頭に立って(制裁を求める)決議案を提案する事態になったが、強硬論を言う役割をさせられて、裏では米中、米露の談合が行われていた。日本は米中、米露の話し合い、米国の本音について何も聞かされていなかった」と述べた

産経の記事の後は、朝日さんの記事も。

asahi.com:小沢代表が国連決議を批判「米中、米ロが裏で談合」 - 政治

民主党の小沢代表は17日、国連安全保障理事会で採択された北朝鮮ミサイル発射の非難決議について「強硬論を日本が言う役割をさせられ、裏では米中、米ロの談合ができていた。日本の最初の勢いはどこへやら、国連憲章7章(の文言)は削除せざるをえなかった」と批判した。東京都内の講演で述べた。

小沢氏は「珍しく日本が先頭に立って決議案を提案し、国民は小泉首相のリーダーシップの表れと受け止めたと思うが、(首相は)米国の本音は聞かされていなかったのだろう」と分析した。


>北朝鮮非難決議に関連し「最初の勢いはどこへやら、(政府が求めていた)制裁という(国連憲章)7章の中身を削除せざるを得なくなった」と指摘、政府の外交を批判(by産経)

>「強硬論を日本が言う役割をさせられ、裏では米中、米ロの談合ができていた。日本の最初の勢いはどこへやら、国連憲章7章(の文言)は削除せざるをえなかった」と批判(by朝日)

いずれも同じような記述ですが、小沢氏の悪意に満ちた発言には、ホントに辟易とさせられます。こういう人間を税金で養っている国民は寛容すぎるのではないかと思いたくもなります。

さて、外交に限らず商談もおよそ他人を複数交えて交渉の場に付く場合、当然虚虚実実の駆け引きを行うことになりますから、我意を徒に主張するばかりでは、交渉の果実を逸してしまうこともありえます。

少なくとも全会一致で非難決議が可決されたことを考えれば、今回の対応は満足行くものだったというべきでしょう。むしろ、拒否権の発動をちらつけせても実際は切れないカードあった中国にしてみれば、胸をなでおろしているのではないでしょうか。辛うじて威信は保てた形には持ち込めたのですから。

さて、批判が利害関係にない人から噴出する場合、そこにはある程度の客観性がありますから、その批判は傾聴に値することが多いと考えられます。ところが、先の共産党も山拓氏も小沢氏も現政権と利害が対立する存在ですから、その批判は自ずと割り引いて考えねばなりません。

国難に際し、立場を超えて協力するならまだしも、協力するどころか批判に終始する、また批判者はそれぞれ立場が異なるにも関わらず批判の中身は話あったかのように一致している。靖国問題による外交のつまずき、トーンダウンした制裁決議などなど。彼らの立場で考えれば、批判がステレオタイプにならざるを得ないほど、いい結果が出たということを図らずも露呈しているのではないかと思えてしまいます。

三者とも制裁には慎重に、と言っていたのですから、今回の結果は、よくぞ、妥協して全会一致の決議を引き出したなんて、歓迎すべきことであるのに、同調することが負けとばかりに批判するために、何ともしまりのない感じになっているのでしょう。

>「珍しく日本が先頭に立って(制裁を求める)決議案を提案する事態になったが、強硬論を言う役割をさせられて、裏では米中、米露の談合が行われていた。日本は米中、米露の話し合い、米国の本音について何も聞かされていなかった」

>「珍しく日本が先頭に立って決議案を提案し、国民は小泉首相のリーダーシップの表れと受け止めたと思うが、(首相は)米国の本音は聞かされていなかったのだろう」と分析

恐れ入谷の鬼子母神。小沢氏、推測でものをいうなよ。マスコミも推測を事実のように報道するなよ。

アメリカが中国やロシアと水面下で話をしていたとしても、日本が国際社会で発言したことに問題はないと私は思います。

討論や交渉の場には、それぞれ担うべき役割があります。利害対立者の交渉が決裂しそうならば、裁定者や仲裁者、中立したものは間で取り持つ。それは至って普通のことでしょう。今回の場合アメリカが中立かと言えば語弊があるかもしれませんが、少なくとも中露にある程度ものを言えるのは本件に関してはアメリカしないいなかったのではないでしょうか。

ところで、アメリカが中露と談合していると分析する小沢氏ですが、そのアメリカの間に、日本が強硬的な役割を担って国際社会に注意を喚起する役割を担うという談合ができていたとは、何故分析できないのでしょうか。

分析も批判も自己に都合のいいような解釈ですすめれば、論理的に破綻するのは自明のことです。

仮にアメリカ・日本の談合なんて都合のいい解釈だ!というのであれば、同じ理屈で中露・アメリカの談合も断じることができます。

 

素直に、褒めるべきところは褒めるという習慣がなく、常に誰かに責任を転嫁することがアタリマエになってしまうことほど恐ろしいことはありません。ましてやそれが政権を奪取する可能性が少しでもある政治家の言動となれば、戦慄さえ覚えてしまいます。中身のない批判は、かえって自分自身の価値を貶める、それは政治の世界だけでなく、私達の日常でも同じです。日常世界に生きる私達が政治家を選ぶとき、私達の常識が通用しないものを選ぶことはないのだということをそろそろ、日本の政治家の皆さんは理解すべきときではないでしょうか。


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靖彦

>小沢氏の悪意に満ちた発言には、ホントに辟易とさせられます。こういう人間を税金で養っている国民は寛容すぎるのではないかと思いたくもなります。

私も、小沢氏の「政権を獲るためなら何でもあり」のご都合主義には呆れ果てております。十数年前に、知り合いの議員や官僚から彼の話を聞いて、独断専行で唯我独尊ではあるが、骨のある、もう少しまともな男だと思っていた自分が恥ずかしい・・・。
 http://www.enpitu.ne.jp/usr4/45126/diary.html
こちらのサイトで紹介されている、昭和61年当時の彼の国会答弁と、最近の彼が唱える「A級戦犯分祀論」との矛盾等どう説明するつもりでしょう。当時国務大臣であった彼は「合祀されている所謂A級戦犯とされた方達は、公務死でなく戦場で亡くなったと思っていた」とでも言うつもりでしょうか?
by 靖彦 (2006-07-22 14:07) 

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