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必死なのはわかるが・・ [2005年5月]

必死なのはわかるが・・

子供の日も明けて5/6になりました。今日が休みの方は日曜日まであと3日ありますが、そうでない方は明日は仕事ですね。

さて、最近めっきり遅筆なので、旬を過ぎているのですが、憲法記念日の朝日の社説を取り上げてみたいと思います。(5/6、13時にちょこっと追記しました)

世直し気分と歴史の重さ 改憲論議を考える


「あなたは改憲ですか、護憲ですか」と街頭インタビューで聞かれた30代の男性は「どっちかって言うと改憲な感じです」と答えた。

憲法をゼミで学ぶ大学生はこう言った。「護憲ってダサいし、就職にも不利っぽいかも」

憲法といえば、かつては思想や民主主義をめぐる路線がぶつかりあう硬いテーマだった。ところが最近は気分やスタイルの問題みたいな雰囲気が漂う。

朝日新聞の世論調査で「改憲」という言葉のイメージを聞いたところ、「現実的」29%、「未来志向」28%と肯定的な意見が多く、かつての改憲につきものだった「復古的」というイメージを答えた人は8%に過ぎなかった。

●憲法イメージが転換した

憲法の出発点でもあった戦争の記憶は薄れつつある。いま戦争といえばイラクであり、北朝鮮の核・ミサイル問題や拉致問題も頭に浮かぶ。潜水艦が石垣島沖を横切ったりする中国の大国化も気にかかる。こうした「いま」の出来事が、平和主義を唱えるままでいいのか、と人々の気持ちを揺らしているのだろう。

加えて、90年代の「失われた10年」に象徴されるような閉塞(へいそく)状況を打破したいという空気もある。今回の調査でも日本社会の行き詰まりを感じる人が85%もいた。世直し」を求める気分に改憲はすっぽりとはまる。「改憲」イコール「改革」という図式の中では「護憲」は「守旧」となりやすく、どうも分が悪い。

しかし、では憲法のどこをどう変えるのかとなると、議論はたちまち拡散する。軍隊を持つべきだという論もあれば、「権利意識ばかりが幅をきかせて」と戦後社会のありようへの腹立ちをぶつける論、愛国心、プライバシー……。

それらが重なり合って、憲法改正の賛否を問えば「賛成」が過半数を超える。焦点が絞られないまま、漠とした世直し気分が改憲論を押し上げている。

●永田町と世論とのずれ

だが、このムードは現実の改憲に結びつくのだろうか。憲法施行から58年たった今年、それが容易ではないことを示す出来事がふたつあった。

ひとつは、5年間にわたる審議をまとめた国会の憲法調査会の最終報告書である。ゼロから憲法を書き直そうとする改憲派の全文改正の試みは、機運を盛り上げはしたものの、結局、あれも入れたい、これも欲しいと議論が百出し、収拾がつかなくなってしまった。

集団的自衛権の行使をはじめとする9条の論点などでは、さまざまな意見が併記された。改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要なのに、ひとつの案にまとめるのは至難の業だろう。

しかも、国会議員が永田町で熱くなっているほど世論の関心は高くない。

朝日新聞の調査では、憲法調査会のことを「知らない」人が71%だ。最終報告書の内容を「知っている」人となると3%に過ぎない。焦点の9条改正には慎重な声が多い。むしろ世論の関心は環境権やプライバシーなどいわゆる新しい人権の方にあった。政治家と世論の間には大きなずれがある。

もうひとつの出来事は、この春、中国や韓国で噴き出した激しい日本批判だ。それぞれに誤解や国内事情があるにせよ、底流にはかつて日本が仕掛けた戦争や植民地支配に対する責任と反省への問いかけがあるのは確かだ。

9条改正論の中には、いまの自衛隊をきちんと憲法に位置づけ、海外での活動にもはっきりと根拠を与えるべきだという今日的な主張もある。

しかし、9条の平和主義は、過去の過ちは繰り返さないという日本の不戦の証しでもある。これがあるからこそ、和解への取り組みが不十分でもなんとかやってこられた。もし9条を変えるのなら、その前にきちんとしておくべきことがあるのではないか。

●平和ブランドをどうするか

旧西ドイツは戦後10年ほどの間に憲法を改め、再軍備に踏み切った。東西冷戦の最前線に位置し、西側陣営の圧力があってのことだが、それには徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提だった。米国と仲良くやってさえいればよかった日本とは根本的に異なっていた。

ところが日本ではいま、過去を正当化しようとする議論がまかり通る。A級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に小泉首相は参拝を続け、それが近隣諸国の不信を招いている。その一方で9条まで変える、まして堂々と軍隊を持つとなれば、さらに不信をふくらませかねない。

自衛隊は一流の装備を持ちながら海外ではきわめて抑制的に振る舞い、武力行使はしない。愚直なほどに原則にこだわり続ける姿勢が、国際社会における日本の「平和ブランド」をつくってきた。戦後日本が築いた資産のひとつだろう。9条を変えるなら、それを捨て去るのかどうかの議論が欠かせない。

憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら拒む理由はない。政治に求められるのは、単なる世直しムードを超えて、改憲することの利害得失を大きな視野で見極めることである。


>30代の男性は「どっちかって言うと改憲な感じです」と答えた。

>憲法をゼミで学ぶ大学生はこう言った。「護憲ってダサいし、就職にも不利っぽいかも」

いきなり、印象操作をしますか。
わざわざ、この2人の意見を載せる意図は何なのでしょうかね。改憲派の中には、あんまり物を考えない連中もいるんですよって言いたいのかな。
そもそも、こんなこと言った2人が実在するのかさえ怪しいもんです。
だって、「改憲な感じ」って普通の感覚で使う人あんまりいないと思いますし、「護憲ってダサい」「就職に不利」ってこと言う人いるのかな?
追記(5/6)
abusanさんに頂いたコメントを見て思ったのですが、「護憲」って確かに「ダサい」ような気もしますね。私も聞かれたら案外、そう言うかもって思ってしましました。正確には、「護憲叫ぶ人達」の言動が「ダサい」のですが。

まず、朝日新聞から街頭でインタビューされた記憶のある人がいるのか。いたとして↑のようなことを言った人がいるのか、調査したいところですね。

根拠の希薄な発言が、さも大勢を占めるかの如く書くのはいつものことですが、卑怯なやり方です。

>かつては思想や民主主義をめぐる路線がぶつかりあう硬いテーマだった。ところが最近は気分やスタイルの問題みたいな雰囲気が漂う。

思想がぶつかり合うのは分かりますが、「民主主義をめぐる路線」ってどういうことを指してるのでしょうか。
気分やスタイルで改憲を言う人ってどんなひとだろ?↑のような(実在が定かでない)学生みたいな人にとって改憲とは、「カッコイイ!」ことだと言いたいのでしょうが、「カッコイイ!」かなぁ。そういう感覚・雰囲気に誘導しようとすることに非常に無理を感じるのですが・・・・。

>「改憲」という言葉のイメージを聞いたところ、「現実的」29%、「未来志向」28%と肯定的な意見が多く、かつての改憲につきものだった「復古的」というイメージを答えた人は8%に過ぎなかった。

もともと、朝日新聞の設問に問題がありそうな気配ですが、戦後60年かけて必死に工作したのに、「懐古的」っていう模範解答をしてくれる人が8%しかいないものだから、プリズムを通して結果を見てしまったのでしょうね。

>こうした「いま」の出来事が、平和主義を唱えるままでいいのか、と人々の気持ちを揺らしているのだろう。

主権国家でありながら、極東3国に主権を侵害されていることを鑑みれば「平和主義を唱えるままでいいのか」って考えるのが普通の感覚だと思いますがね。
逆に「平和主義を唱えるままでいい」って考える人は、将来に対して何の不安もなく、心も揺れることがないのか聞いてみたいところです。

>「世直し」を求める気分に改憲はすっぽりとはまる。「改憲」イコール「改革」という図式の中では「護憲」は「守旧」となりやすく、どうも分が悪い。

>憲法改正の賛否を問えば「賛成」が過半数を超える。焦点が絞られないまま、漠とした世直し気分が改憲論を押し上げている。

世直し?確かに長引く不況からくる閉塞感が日本を覆っているのは事実でしょうが、憲法を改正することが即、それを打破するとは言えないでしょう。まぁ、憲法を刷新し新たな一歩を踏み出すという意味では分からなくもないことですが。

既に色々な面で齟齬をきたしている憲法を変えることは、閉塞感を打破することに関係なく、「護憲」は分が悪いと思うのですが、自覚できないというか、したくないようです。

>憲法のどこをどう変えるのかとなると、議論はたちまち拡散

>議論が百出

>改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要なのに、ひとつの案にまとめるのは至難の業

日本は民主国家ですからね、議論が拡散することも百出することも当然でしょう。様々な意見(少数意見も含めて)、議論を尽くすことが重要であり、現時点でひとつの方向に収斂される方がおかしいでしょう。
改正に後ろ向きな人はいろいろ言うでしょうが、多くの意見が出ることは前向きで建設的な議論の場には必要でしょうし、それだけ憲法改正が重要なテーマであることを物語っているだけです。

憲法96条には、国会議員の2/3で改正の発議を行い、国民投票で過半数を超えることが必要ですが、まずは百出している議題をひとつずつ丹念に検討する時間はもちろん必要で重要な作業になるでしょう。

>「権利意識ばかりが幅をきかせて」と戦後社会のありようへの腹立ちをぶつける論

国民の多くは、権利を主張すると同時に義務や責任をも主張しているにも関わらず、一部の「市民」が執拗に「義務」を軽視し「権利」を叫ぶことこそ、社会全体を覆っている閉塞感の原因のひとつではないでしょうか。

>世論の関心は高くない。

>憲法調査会のことを「知らない」人が71%だ。

>最終報告書の内容を「知っている」人となると3%に過ぎない。

>焦点の9条改正には慎重な声が多い。

>むしろ世論の関心は環境権やプライバシーなどいわゆる新しい人権の方にあった。

>政治家と世論の間には大きなずれがある。

ここでいう「世論の関心は高くない」というのは、苦しい物言いです。朝日が言っているのは、憲法調査会の存在やその報告書の中身に関する質問の回答から「関心」の高低を論じているだけです。改憲そのものの関心は、世直し気分だの何だの言いながらも高いということを肯定しながら、です。

特異な設問をもって、自己の主張に有利な数字を出しているに過ぎません。

↑の6つの文はひと塊の文章を分けたものですが、最初の「関心・・・」の文は2番目と3番目にかかっているもので、4番目の「9条」は前文までとの繋がりもなく出てきた文です。それまでの文では(都合のいいところでは)、数字を出して述べながら、この文では「慎重な声が多い」と言いながらも具体的な数字を出していません。

因みに「9条」に関して、読売新聞の調査結果を示してみます。
(朝日新聞の調査とは異なるかもしれませんが・・。)

古新聞(4/8)から捜し出したのですが、
「憲法9条について、今後、どうすればよいと思うか」という設問の回答です。

  これまで通り、解釈や運用で対応する            …27.6%
  9条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない       …18.1%
  解釈や運用で対応するのは限界なので、9条を改正する …43.6%

朝日の言うところの「慎重派」を法解釈派と遵守派の合計と考えると45.7%になります。
一方、改正派はそのままで43.6%となります。朝日の場合はよく分かりませんが、読売の結果を見ると、2%ほど「慎重派」が多いのですが、普通の感覚では、これは拮抗していると言うでしょうし、「多い」と書くのは「誇張」と言うでしょう。

「最後の政治家と世論の間のずれ」という記述ですが、憲法調査会においても「9条」については幾つかの意見を併記しており、新しい権利(環境権)などにも言及されています。少なくとも、ここで朝日が言うような点については世論と政治家(憲法調査会)の見解は乖離していません。

それを、さも噛み合っていないかの如く書いてしまう朝日新聞の主張は、ここだけでも支離滅裂です。

>底流にはかつて日本が仕掛けた戦争や植民地支配に対する責任と反省への問いかけがあるのは確か

朝日は、中韓のデモなどの反日行動について、相変わらず日本のみが悪いと言います。WW2の戦勝国が善、敗戦国は悪という概念がとりわけ反日勢力の中には厳然と残っていることは分かります。しかし、かの国々とはそれに関して幾つもの条約を締結し、補償を完遂し、しかも幾度も政府として謝罪を繰り返してきました。
そういうことを常日頃、説明することなく他国、しかも一方的に敵視している国の論調に無批判に乗っかるのは、もはや言論機関として致命的であると言えます。
それにしても、暴動的な反日活動は、朝日流に解釈すると「問いかけ」になってしまうのですね。

>もし9条を変えるのなら、その前にきちんとしておくべきことがあるのではないか。

>国際社会における日本の「平和ブランド」をつくってきた。戦後日本が築いた資産のひとつだろう。9条を変えるなら、それを捨て去るのかどうかの議論が欠かせない。

仮に9条を変えることがあったとしても、それは国内問題であり、その是非を他国にはかる必要などどこにもありません。ましてや、日本は対戦国に対して、朝日が言うような「しておくべきこと」などありません。
もし、他国に配慮することが必要だと言うのであれば、改正する内容に関して一考の余地があるという程度でしょう。

朝日やサヨッキーは、改憲が平和を乱すとばかりに息巻きますが、彼らは妄想を膨らますことはあっても、日本が今まで培った国際的な信用を放棄することを改憲の目的にしているという具体的な例を挙げた試しはありません。

>過去を正当化しようとする議論がまかり通る。

いったい、どこに過去を正当化しようとする議論が罷り通っているのでしょうね。根拠なく「罷り通る」などというネガティブな言葉を使うのは品性を疑いますね。

【罷り通る】
(ア)堂々と通る。
(イ)良くない物が世間に通用する。また、悪い行為が堂々と行われる。

もちろん、(イ)の意味で使っているのでしょう(笑)。レッテル貼りですか?常套手段ですねぇ。

>靖国神社に小泉首相は参拝を続け、それが近隣諸国の不信を招いている。

>9条まで変える、まして堂々と軍隊を持つとなれば、さらに不信をふくらませかねない。

靖国参拝については、そろそろ、政府見解として国際的に正しい情報を発信すべきでしょう。もちろん国内においても。それを怠ったが故に不信感が増大している(反日勢力に利用されている)のですから。
先のAA会議での謝罪を私は(期待を込めて)肯定的に捉えましたが、「靖国」の問題をキチンと解決できないようであれば、今までと同じ、いや今まで以上に酷い結果になってしまいます。

9条改正にしても、どのように変えるのかは国内問題でしょうが、変えた内容に関しては裁可を仰ぐのではなく、周知は十分に行う必要があるでしょうね。反日連中におもちゃにされないためにも。

>憲法を改めることで暮らしよい世の中になり、日本が国際的にも尊敬されるなら拒む理由はない。

朝日にとって「暮らしよい世の中」とは、普通の人にとっては「暮らし難い世の中」でしょうから、日本がまともな国になればなるほど、朝日系の人達(進歩的改め珍呆的文化人)にとっては「暮らし難く」なるでしょうね。

>改憲することの利害得失を大きな視野で見極めることである

最後の一文だけは全くもって尤もな意見です(笑)。まさに日本にとって最も利があるような改憲がなされることを期待したいですね。

ただ、ここで言う利害得失は、極東3国や朝日系の人達にとっては「害」と「失」にしかならないでしょうが。


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abusan

護憲派はダサいとか守旧派イメージという事は外れとは
言い難いですね。勿論、根本には護憲を叫んだ人の
反日性が日本社会問題となっている所であるのですけど
案の定、そっちのほうは頬被りと(w > 朝日新聞
これを「朝日新聞必死だな(w」と言わないでかと(個人的放言)
by abusan (2005-05-06 09:11) 

FD3S

abusanさん、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。

>護憲派はダサいとか守旧派イメージという事は外れとは言い難いですね。

そういわれれば、そうですねぇ。かくいう私も護憲・護憲♪って言う輩は「ダサい」なと思っていたりしますし。聞かれたら言うかも(笑)。

>案の定、そっちのほうは頬被りと(w > 朝日新聞

朝日お得意のパターンですよね。片方を貶めることで他方を持ち上げるという。

>これを「朝日新聞必死だな(w」と言わないでかと

必死だと思いますよ、中の人は。しかし、こうもあからさまだと悲哀すら感じでしまいますね。
by FD3S (2005-05-06 13:03) 

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