天皇が嫌いな人達の非情 [2005年5月]
天皇が嫌いな人達の非情
ふとしたきっかけから、法政大学大原社研のHPに辿りつきました。
偶然にも園丁日記の枇杷さんも同じHPで別の件を調べていたようで、びっくりしました。枇杷さんは、9条の会関連でそこを参照されているようですが、そのエントリはあんとに庵さんのブログのエントリと連携されています。
改憲が現実味を帯びてくる中で共産党系の活動が喧しくなっています。それについて非常に掘り下げた内容となっていますので、是非、ご参照下さい。
さて、本エントリでは、9条の会とは異なり、昭和天皇が崩御された前後のマスコミの姿勢と市民団体の反発について、上記資料を引用しつつ書いてみたいと思います。
法政大学大原社研のHPの中に所蔵されている、
「日本労働年鑑1989年版、Ⅱ社会運動の動向、3.天皇問題をめぐって」から引用してみたいと思います。
マスコミ関係労組、過熱報道を批判
八七年秋の天皇の入院・手術以来、天皇制や代替わりをめぐる議論および運動が活発になったが、八八年九月一九日深夜に天皇が突然大量出血し、容体が急変するに及んでマスコミによる報道が過熱化し、また「自粛」ムードが全国をおおった。
こうした動きのなかで、マスコミの対応や「自粛」の強要にたいして、労働団体や各種の市民団体から強い批判がなされた。
マスコミ関係労組は、とくに天皇報道の過熱化とともに天皇賛美や国民主権の原則にそぐわない報道内容についてきびしい批判を展開した。九月二六日には民放労連が民放連にたいして、「国民に服喪を強制するような放送体制を再検討し、主権在民の立場に立った節度ある番組編成で対処してもらいたい」と申し入れた。新聞労連は、翌二七日、「ひとつの局面に過度に集中した報道は民主主義を守るという新聞の使命を放棄することになりかねない。多様な事実を伝えてこそ新聞の使命がはたされる。国民、読者が求めているのは、冷静、客観的な天皇報道をおこなうことだと自覚し、そのために全力を尽くすべきである」とする声明を発表し、新聞協会に申し入れた。(中略)
天皇の戦争責任追及も活発化
天皇の戦争責任を追及する動きも活発化したが、とくに地方議会では「天皇に戦争責任あり」とする共産党議員が問責される事態が続発した。『朝日新聞』の調べでは、都道府県議会のレベルで「快癒決議」をめぐって三二の議会で紛糾があったとしている。このなかでとくに注目を浴びたのは、「天皇に戦争責任はあると思う」とした本島等長崎市長の発言であった。自民党県連は発言の撤回を求め、これに応じなかった同市長を県連顧問から解任した。また右翼も連日、市庁舎や市長公宅などに押しかけ脅迫を加えるなどした。一方、同市長の発言を支持する市民たちが「『本島発言』と言論の自由に関する市民の声明」を発表し、署名活動を開始したが、こうした動きは全国的にも広がった。
(中略)
また、地方自治体が「記帳所」を設置したことは違法だとして、住民監査請求をおこす動きも全国でみられた。(以下、略)
1989年と言えば、1週間程度の昭和64年の後に平成元年となりましたので、今から17年前の記述です。
私が一年間の諸国浪々の旅(?)の末、大学生になった年でした。
マスコミの自粛というか世の中に「目出度い」ということを何となく「忌む」感じが確かにありました。印象に残っているのは、日産のセフィーロのCMで井上陽水が「皆さ~ん、お元気ですか?」というセリフがサイレントになったことでしょうか?
>八八年九月一九日深夜に天皇が突然大量出血し、容体が急変するに及んでマスコミによる報道が過熱化し、また「自粛」ムードが全国をおおった。
今でも、民放に限らずNHKでも皇室関連のニュースのときには、とってつけたように穏かで親近感を抱かせるような感じで映像を流しますが、このときのそれも、国民全体が服喪しているような感じでした。
当時はもちろん気付かなかったのですが、この資料を見ると、時季を得たりとばかりに左翼団体が発言していますね。もしこの時代に、今のようなネットの環境があれば、なんて不敬な!ってバッシングがあったかもしれませんね。
さて、このときも、阪神大震災のときも、地下鉄サリン事件、その他多くの災害や事件でもそうですが、殆どの報道が一面的で直情的なものになっていることがひとつ目の問題です。今回起きた列車事故でも本質的な報道や多面的な報道が明らかに欠如しているように、マスコミは本当に進化できない愚鈍な存在です。そのくせ、自己が国民の守護神にでもなったかの如く迷妄し倣岸不遜な態度を取り続けています。
>マスコミの対応や「自粛」の強要にたいして、労働団体や各種の市民団体から強い批判がなされた。
自粛の強要とありますが、マスコミの論調がそういう感じだったというだけで、多くの国民は自主的な判断で「服喪」的になったというのが真相です。
天皇が大嫌いな人にしてみれば、それが強要と写ったのでしょうが。
>マスコミ関係労組は、とくに天皇報道の過熱化とともに天皇賛美や国民主権の原則にそぐわない報道内容についてきびしい批判を展開した。
マスコミが如何に左翼的なのかが良く分かります。昭和天皇の容態が悪いということを心配することは、「天皇の賛美」でも「国民主権の原則に反する」ことと関係はありません。
それは、先々月に亡くなられたローマ法王、ヨハネパウロ二世を世界中の人が-日本人の多くも例外なく-それを悼んだのと似たような感覚に加え、激動の昭和という時代、そしてその象徴であった昭和天皇に寄せられる自発的な感情であったはずです。もちろん、思想的にもっと深く思われる方も多かったでしょうが、少なくとも市井一般の感覚でも重篤な状況は心配であり、崩御されたことは深い悲しみであったのは間違いないことだと思います。
>民放労連が民放連にたいして、「国民に服喪を強制するような放送体制を再検討し、主権在民の立場に立った節度ある番組編成で対処してもらいたい」と申し入れた。
それに対して、民放労連は「主権在民の立場に立った節度ある番組編成」を求めています。少なくとも、多くの主権保有者である国民は天皇の容態や崩御に関して関心が高く、一連の報道に対して、労連が言うような感情は持っていなかったと思います。
>新聞労連は、ひとつの局面に過度に集中した報道は民主主義を守るという新聞の使命を放棄することになりかねない。
>多様な事実を伝えてこそ新聞の使命がはたされる。
>国民、読者が求めているのは、冷静、客観的な天皇報道をおこなうことだと自覚し、そのために全力を尽くすべきである。
これは、笑えます。今回起きた、痛ましい列車事故についてはどうなんでしょうか?「過度に集中した報道」を繰り返しているように思いますが、それは「新聞の使命を放棄することに」はならないのでしょうか?
「多用な事実を伝えてこそ新聞の使命が果たされる」というのも、何ていうか、上半身は念入りにおしゃれをしているビジネスマンが、スーツのズボンをはき忘れたまま、スカシてるような間抜けな主張ですね。
彼らのいう多様性とは、ボーリングに何人行った、二次会、三次会に何人行った、会計は幾らだったなんてことを報道することを指しているのでしょうかね。
もちろん、天皇・皇室に関する報道と事故報道という違いはあるでしょうが、彼らがここで語っているのは、報道のあり方ですから、その本質・使命は如何なる内容でも不変であるはずです。
天皇報道の部分を他の言葉に置き換えれば分かるように、彼らは国民の知る権利を国民の承諾も得ずに勝手に利用して自己の主張・立場に対する免罪符の如く使います。
要するにマスコミ労組も、コアな部分は天皇制反対を唱える反日左翼の隠れ蓑になっているに過ぎないことが良く分かります。
次にマスコミの外にいる左翼な人達の問題についてみたいと思います。
>「天皇に戦争責任あり」とする共産党議員が問責される事態が続発した。『朝日新聞』の調べでは、都道府県議会のレベルで「快癒決議」をめぐって三二の議会で紛糾があったとしている。
まず、昭和天皇の容態が悪い、という時期にわざわざ「天皇に戦争責任がある」などと言い出す共産党議員の神経にも呆れますが、問責になったとは言えこういう発言がまだ出ていた時代だったのですね、平成元年頃は。
>「天皇に戦争責任はあると思う」とした本島等長崎市長の発言
本島長崎市長(当時)のキチガイぶりはかなり有名なようですね。この発言のみでは分かりにくいですが、秋津嶋案内書さんの所にある「左翼「名」発言集」から彼の発言を引用させていただきます。
「日本が(終戦までの)過去15年間にわたってやってきた非人道的な行為を考えると、原爆の投下は日本に対する報復としては仕方がなかった。落とされるべきだった」
「(日本による)南京大虐殺、三光作戦、731部隊などは残虐の極致。日本人の非人間性、野蛮さが出ている」
「中国などにとっては原爆は救世主だった。(日本は)一度戦争に引きずり込んだのだから(原爆投下は)最初から覚悟していたのではないか」
出典元:1997年7月29日共同通信のインタビューでの発言
「北朝鮮がミサイルを撃ったことは悪いことではあるが、そもそも三八度線は日本人が作った」
「北朝鮮に徹底的に謝罪しなきゃならん義務が残っている。」
出典元:1998年10月千葉県立小金高校の「平和・人権委員会」による講演会での発言
「何の罪もないユダヤ人が殺されたホロコーストに対し、重要な軍港があった広島は、日清戦争以来、日本の戦争遂行にとことん協力し、その報復として傷ついた。」
「人をだますことは、日本人の遺伝子の中に組み込まれているのではないか。」
出典元:1999年12月12日「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」での発言
どうです?こんなキチガイが市長だったんですよ。こんな発言をする市長ですが、
>同市長の発言を支持する市民たちが「『本島発言』と言論の自由に関する市民の声明」を発表し、署名活動を開始したが、こうした動きは全国的にも広がった。
これを支持し、「言論の自由」と考えてしまう人達が全国的にいたというのです。
今の時代、彼らのこういう言動はすぐに露見してしまいますが、上記の「秋津嶋案内書」さんのようなHPがない時代には、注意してみていても気付かないことが多々あったのではないでしょうか?
まだまだ、多くのことを過去から学ばねばなりませんが、ド左自然薯軍団の最近の凋落ぶりを見ると、今は世の中の転換点なのかもしれません。
そして、私を含め多くの人が、まだ真実を知らないのかもしれません。
過去を振り返り、原点を探ってみること、私の場合は、とりあえず多感な時期に得た情報についてもう一度見直してみたいと思います。
そう思って、今回は私が大学に入った頃の出来事について取り上げてみました。
天皇の門番―皇居周辺に張りついた新聞記者69人の111日
読売新聞張り番の会 (編集)
JICC出版局 ; ISBN: 4880635294 ; (1989/03)
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この本、持ってたんですが、処分したかな…。
実はこの本の中には張り番した記者さんたちが「張り番でどういうことを体験しtか」ということをかかれてます。
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内容(「BOOK」データベースより)
張り番に投入された記者の総数は88人、カメラマンが57人。元号が平成に替わって2日目の1月9日。皇居前に特設された取材用テントの片隅で、石油ストーブの上で湯気をあげるアサリ汁を囲んだ。ある時は週刊誌に「門番」と揶揄されながら、長い張り番をなし終えた記者たちが、それまでの111日を振り返って語り合った。それを聞いて、「これをマスコミ史の1ページとして、いや歴史のひとこまとして、なにかの形で後世に残せまいか」と願った。そして、張り番記者と、それを支えた人たちに、"それぞれの111日"を書いてもらった。本書はその集大成にほかならない。
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第1章 真実の張り番 第2章 真冬の路上生活者
第3章 張り番する人、される人 第4章 サバイバル・ゲーム
第5章 無線機片手のブン屋稼業 第6章 門番の生活と意見
第7章 皇居のお巡りさん 第8章 それぞれの崩御
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確か7章あたりだと思いますが、門から出て行く車を見て…記者さんがデカい声で「誰ですか、あのばあさんは?」と言ったとかで、皇宮警察官の方が「一体、ばあさんなんて言ったのは誰ですか!北白川女官長ですよ。車の中にも聞こえるんです、怒られるのは私たちです…」といったやり取りもあったそうで。で、おそらく、その礼儀知らずは例によって朝日新聞の記者で、皇宮警察官は嫌がってたようです。
何でもないときは、皇居の周りの自然について記者に解説してくれるような親切な方々のようですが、その警察官の方々も。
by 枇杷 (2005-05-07 12:26)
>「左翼「名」発言集」
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) ホォォーー…?!
by てっちん (2005-05-07 13:56)
てっちんさん、いらっしゃいませ!
>(;゚ Д゚) ホォォーー…?!
でしょ?
by FD3S (2005-05-07 15:02)
枇杷さん、こんにちは、いらっしゃいませ!
コメントどうもありがとうございます。
興味深い書籍のご紹介ありがとうございました。
それにしても、色々な本をお読みになっているのですね。いつもながら感心させられます。
私も見習わねばなと思うのですが、どうしても「それっぽい」タイトル(反日の××など)の本ばかりになってしまいます。
枇杷さんは、本を選ばれるときに、何か指針のようなものをお持ちでしょうか?
よろしければ、ご教示頂きたく存じます。
by FD3S (2005-05-07 15:04)