巧妙な筋?
巧妙な筋?
先ほど、テレビのチャンネルをあちこち変えて何気なく見ていて、妙なことに気づきました。
タイトルを捩りましたが、NHKの功名が辻の話の内容です。見た場面は織田信長(舘ひろし)による美濃侵攻の場面でした。そこでは、秀吉(柄本明)が竹中半兵衛重治(筒井道隆)に教えを乞うようなシーンに続いて、秀吉が信長に「蝮が・・・」のような会話をしていました。
半兵衛が少ない手勢で城を落とす方法を伝授し、山内一豊(上川隆也)に話をし、道案内として堀尾吉晴(生瀬勝久)をつける。
半兵衛は咳き込みが、吐血していた。
そのあと、稲葉山城は陥落し、尾張?からそれを悲しげに見つめる帰蝶(濃姫)(和久井映見)が映し出される。
私がちょい見したのが以上でしたが、あんまりの内容にいちゃもん付けたくなりました。
グーグル先生に調べてもらった内容でちょっと年表を示してみます。
1549年
帰蝶、信長に嫁ぐ
1552年
織田信秀(信長の父)没
1553年
正徳時の会見(斉藤道三と信長)
1556年
斉藤道三(蝮の道三)没・・嫡男の義龍に攻められて。
1560年
桶狭間の戦い。織田信長が今川義元を討つ。
1561年
斉藤義龍(道三の嫡男)病没。斉藤家は義龍の嫡男の龍興が継ぐ。
1564年
竹中半兵衛、十数名で稲葉山城を奪取する。このとき半兵衛20歳。
信長が美濃半国の条件で稲葉山城の譲渡を勧めるも拒否し、龍興に返還。
1566年
秀吉が墨俣に一夜城を築く。
1567年
・竹中半兵衛が秀吉の家臣になる。
・稲葉山城陥落
・市が浅井長政に嫁ぐ。
1579年
半兵衛、別所氏三木城攻略中に病没。享年35歳
さて、このドラマは桶狭間から始まったはずなのですが、桶狭間が起きた1560年には、「蝮」と言われた美濃の斉藤道三は既にこの世の人ではありませんでした。斉藤家の当主を代々「蝮」と呼んでいたということでもなければ、今回のようなことにはならないはずですがねぇ。
次に織田軍による稲葉山城(もしドラマの中でこれを岐阜城と呼んでいたならそれも間違いですが、それは覚えていません)攻略は、調略を絡めたものであっても少ない手勢で攻めたのではないはずです。このドラマにおける半兵衛の発言を見ると、半兵衛による稲葉山城奪取を転用したのだろうなと思いますが、その際、半兵衛は信長の誘いを断り、奪った城を当主の龍興に返還し、出奔したとなっています。
また、このシーンで半兵衛の家来としてドラマに出てきた堀尾茂助(堀尾吉晴)は、尾張出身ながら浪人となり美濃にいましたが、半兵衛の家来ではなく、秀吉の家来になったはずです。
さて、先週は秀吉が墨俣に一夜城を築いたとあらすじにありましたが、半兵衛の稲葉山城奪取はそれよりも前のことです。
まあ、かつて十数名で落とした半兵衛に裏技を聞いたという設定かもしれませんが、もしそうなら、そうわかるだけの導入は過去の放送の中であったのでしょうか。
また、稲葉山陥落、即ち秀吉の家臣となった1567年、23歳の半兵衛ですが吐血してましたね。結核か何かが死因とされているようですが、こんな早くから吐血なんてしていたら、とてもその後12年も生きるとは思えないんですけど。戦国一の軍略家は実はペニシリンも開発していた?とかではないですよね。
脚本家は恋愛系ドラマを数多く輩出されている大石静さんなのですが、時代考証はちゃんとされたんでしょうかねぇ。
一豊を描写するには、必然的に戦国の3人の英傑を描くことにもなり、戦国時代好きな人にとっては、一豊を通してその時代を感じていたりすると思うのです。そういう人達にとって、この時代の出来事は、今回までに出てきたことも含めて、結構メジャーなことが多く、正確な年代は言えずとも順番は間違えないようなことばかりです。
戦国の世を舞台にした夫婦の物語でも恋愛ストーリでもそれはそれで結構なのですが、(もちろん、半兵衛や秀吉の話の全てが史実かと言えばそうではないでしょうが、通説的にと言う意味で)リアリティを欠いた展開を見せられる方はなんだかなぁって感じではないでしょうか?
ちゃんと見ていないで文句言うのも何なので、今週の土曜日の昼に再放送でも見てみたいと思います。
確かに、「功名が辻」において所々??と首をかしげるところがありますが
「蝮」といってるのは道三に対しての発言で、稲葉山城攻略は史実でも前面から大群で押して、裏の山からの奇襲で攻略したはずなのでなので問題ないはずです。
でも・・・田楽狭間で義元軍を止めたのが、秀吉の策になってたし・・・
まぁ、娯楽時代劇として見た方が精神的にも楽ですよ!
by たもつ (2006-01-31 16:34)
>さて、先週は秀吉が墨俣に一夜城を築いたとあらすじにありましたが、………そうわかるだけの導入は過去の放送の中であったのでしょうか。
前回の放送中にありましたよ。
「蝮」の件についても、たもつサンの言うとおりで何ら問題ありません。
確かに大石静の脚本はあまりに酷いし演出もダメダメの糞ドラマですが、ろくに見てもいないで斜め上の批判をしてもね~
73年の国盗り物語はよかったな~(遠い目
一豊は東野英心、千代は樫山文枝が演じていました。
あの頃の大河に比べたら、昨今の大河は中坊の学芸会ですねw
by オヤジ@岐阜 (2006-02-01 16:22)
たもつさん、いらっしゃいませ!ようこそ拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございます。
ちょい見だったのが全ての元凶なのですが、道三没後11年の稲葉山城攻め(城主は孫の龍興)のシーンでどうして「蝮」こと道三の話題がでたのかが引っかかった点です。信長と道三が戦をしているように錯覚したのです。単に「道三(蝮)だったら・・・」と回顧的な発言だったのかもしれません。
あと、オヤジ@岐阜さんのコメントによれば半兵衛のクーデターのくだりはドラマで描かれていたのですね。となれば、正面攻撃と陽動・奇襲の2面攻撃は問題なく繋がるのですね。失礼致しました。
結構大河は好きで、しかも戦国ということで期待しすぎていたのかもしれません。とりあえず再放送を見て、エントリを見直したいと思います。
ご指摘どうもありがとうございました。
by FD3S (2006-02-01 20:23)
オヤジ@岐阜さん、いらっしゃいませ!ようこそ、拙ブログへ!
コメントどうもありがとうございました。
>前回の放送中にありましたよ。
→ああ、そうでしたか。それは失礼致しました。そうであれば、城攻めの件は納得できますね。
>ろくに見てもいないで斜め上の批判をしてもね~
いやはや、何ともお恥ずかしい限りです。週末の再放送を見てしっかり勉強しなおします。その際にエントリを修正したいと思います。
因みに「蝮」の件は、たもつさんへの返事にも書きましたが、
今攻めている所の城主が「蝮」=道三なら時代的におかしいのではないか。と思ったのでした。その会話が生前の「蝮」を思い出して言われていたセリフなら何の問題もないのですが。その点も含めて再放送でチェックしたいと思います。
>あの頃の大河に比べたら、昨今の大河は中坊の学芸会ですねw
→73年の国盗り物語は、4歳だったため見た記憶はありませんが、私の見た範囲では中井貴一の武田信玄とか渡辺謙の伊達政宗は好きでした。映像技術はかつてよりも遥かに進化しているのでしょうが、迫力に欠けるのは、演じる人の質の問題なのでしょうか。
ご指摘どうもありがとうございました。
by FD3S (2006-02-01 20:33)