納めていない方が悪い [2005年4月]
納めていない方が悪い
以前のエントリで障害者無年金訴訟について書きましたが、学生時代に障害を負った方の父親が朝日新聞にコメントを寄せています。
参考→弱者救済と差別①
この記事は朝日新聞の愛媛版だと思いますが、「私と憲法」という特集の中にありました。
それでは引用します。
「支給に柔軟さ示して」
無年金障害者の長男もつ父親(54)
私たち家族は松山市内で暮らしています。現在30歳の長男は、20歳の時に統合失調症と診断され、障害2級の認定を受けています。時々デイケアに通っていますが、仕事はできません。入退院を繰り返し、経済的には厳しい状況ですが、無年金です。20歳になる前に初診を受けるか、20歳の誕生日から初診までの約10カ月間に保険料を納めていれば、年約80万円の障害基礎年金がもらえたそうです。
3月にあった学生無年金障害者訴訟で、東京地裁は「救済の機会も方法もあったのに立法的措置をとらなかったのは、法の下の平等を定めた憲法に反する」 と重い判決を出しました。大学生の時に重い障害を負いながら、保険料の未払いを理由に障害年金が支給されなかった人たちが起こした訴訟です。これを受け、国会で救済策が議論されていますが、対象は90年までの任意加入時代の学生に限られる可能性があるそうです。
しかし強制加入になった後も、私の長男のように複雑な年金制度の理解が十分でない場合や、手続き上のミスなどで無年金となった障害者が数多くいるのです。
息子は高校の後半から家族と会話をせず、自分の殻に閉じこもるようになりました。専門学校も1年半でやめました。その間、何度か病院に行くよう勧めましたが、本人は拒否しました。世間には精神障害者への根強い偏見があります。結局、幻覚や幻聴が現れるなど、病状が重くなった94年4月に初めて診察を受けました。20歳になっていました。
私はその頃、障害年金という制度を知りませんでした。20歳未満で障害があると診断されれば、年金を受け取ることができる、ということも後で知りました。分かっていれば、違った対応をしていたでしょう。19歳も20歳も、憲法で基本的人権を保障された1人の人間のはずなのに、こんな格差が出るのは納得しがたい話です。
未加入だったこちらにも非はあります。しかし、最近でこそ年金加入を勧めるCMやポスターをよく見かけますが、息子が20歳になった当時、広報や宣伝を見た記憶はありません。加入を怠った場合のリスクの説明が十分ではないのに、いざとなれば「納めていない方が悪い」 と開き直る政府は、あまりに官僚的ではないでしょうか。
現行制度では、過去の保険料をさかのぼって納入することはできても、年金はもらえません。せめて「追納すれば一定額でも支給する」 といった柔軟さを示してほしい。メンツにこだわり、苦しむ国民を放置し続けるのが法の下の平等を定めた憲法をもつ民主主義国家なのか疑問です。
政府には「無年金者をゼロにする」 との方針を示してもらいたい。年金未加入者は4割に上るといいますが、どれだけリスクが知られているか心配です。
無年金障害者
89年の国民年金法改正(91年施行) 以前、大学生や専門学校生の国民年金は任意加入だった。未加入時代に病気や事故で障害を負ったため障害基礎年金がもらえない「学生無年金障害者」 は、厚生労働省の推定で全国に約4千人。同様に任意加入の時期があった主婦、国籍条項を理由に加入できなかった在日外国人、強制加入後の手続き不備者ら無年金の障害者は計12万人いるとも言われる。
障害を持たれた本人には、心から同情しますし、救済されればいいなと思います。
入退院を繰り返し、経済的に苦しく、厳しいことも理解できます。
でも、この父親の主張には激しく腹が立ちます。
20歳になる前に初診を受けるか、20歳の誕生日から初診までの約10カ月間に保険料を納めていれば、年約80万円の障害基礎年金がもらえた
分かっていれば、違った対応をしていたでしょう。
タラレバが許されるなら、何だって言えませんか?
将来のことが分かっていれば、個人で生命保険に加入する人も車やバイクの任意保険に入る人もいなくなるんじゃないですか?
分からないから、「転ばぬ先の杖」として払うんじゃないでしょうか?
保険料の未払いを理由に障害年金が支給されなかった人たちが起こした訴訟
90年までの任意加入時代の学生に限られる可能性がある
強制加入になった後も、私の長男のように複雑な年金制度の理解が十分でない場合
手続き上のミスなどで無年金となった障害者
まず、保険料の未払い=障害年金の不支給であることがどうして理解できないのかが分かりません。
加入が任意だった頃の対象者に対して給付が行われる(今月から支給開始)のは、救済措置として理解はできます。
その場合においても、本来ならば任意であっても20歳以上の大人が自分の判断で決めたこと(過失)に起因する損害を国が補償する必要などないのですが、人道的な観点から特別に給付されたということをしっかり理解せねばならないでしょう。
ましてや、強制加入になった後に義務を放棄しておきながら、年金制度が複雑だとか手続き上のミス(本人の過失分)を理由にして権利を主張するのは、非常識で理不尽な行為と思うことができないのでしょうか?
任意保険に入らず、スピード違反をして事故を起こした人間が、障害を負ったからと言って、制限速度表示が分かりにくいとか、道路が悪いとか言って国を訴えますか?
20歳の時に統合失調症と診断され、障害2級の認定を受けています。
世間には精神障害者への根強い偏見があります。
父親は上記のように訴えますが、実際に障害を抱えた長男を支えて必死に頑張っているだろうことは、及ばずながらも察することが出来ますし、障害を持つ方に対する偏見は存在するというのも事実でしょう。
しかし、これらのことがあれば、社会の一般常識をや法を凌駕する権利が与えられるのでしょうか?
※黄色字追記(4/16)
19歳も20歳も、憲法で基本的人権を保障された1人の人間のはずなのに、こんな格差が出るのは納得しがたい
彼らの訴訟のポイントはここです。
憲法で保障された基本的人権は、無条件なものではありません。憲法は理念であり、その実現のために様々な法があります。その法は万能ではありませんから、法がカヴァーできない人達を憲法の理念に沿って救済する必要はあります。
しかし、法の下にいる人とそうでない人を同じように取り扱えば法が法でなくなります。
19歳と20歳で差別するな、納得できないということですが、それは区別であって差別でないことは、自明でしょう。
19歳は、任意の時期も強制の現在も当該制度に加入することすらできません。従って、20歳以上の加入者達が支えるのです。一方権利を放棄した20歳以上の人間、法の下から自ら出た人間を当該制度で支える必然性はそこにはありません。
彼らが比較しなければならないのは、20歳以上で加入して障害を負った人か、20歳以上で加入していない健常者でしょう。
これは、以前のエントリに書きましたが、前者と比べた場合に、真っ当に加入して保険料を払って不幸にも障害を負った人と未加入で障害を負った人が同じ扱いになれば、それこそ法の下の平等に反することになりますし、加入障害者を差別することになります。
また、後者と比較した場合、未加入で健常者は将来、年金受給額が少なくなります。しかし、それは因果応報で誰のせいでもありません。
原告らは、任意の時期、強制の時期における政府の広報、認知活動に不備があったと言っていますが、それが通るなら、未加入で健常者の人にも加入して健常者である人と同等の年金を支払わねばならないでしょう。
健常者と障害者の間で取り扱いが異なればそれも法の下の平等に反し、差別になります。
未加入だったこちらにも非はあります。
年金の支払いに関して言えば、全てはここに帰結するはずです。本人もしくは保護者の過失こそ、まず問題となるべきことです。
それと、互助・互恵の精神に則った救済は別であることをまず理解しなければならないでしょう。ですから、
せめて「追納すれば一定額でも支給する」 といった柔軟さを示してほしい。
という部分を訴求点にすえて救済を求めるのであれば、それこそ容易に受け容れられたのではないでしょうか?私も遡及的な措置を特例として認め、加入者として同等の権利が付与されるのならば賛成です。
それを、
メンツにこだわり、苦しむ国民を放置し続けるのが法の下の平等を定めた憲法をもつ民主主義国家なのか疑問
↑のように、法の下の平等を求めながら、逆にそれに反する結論を求めようとするから困難になっているのが分からないのでしょうか?
私としては、障害者ということがあらゆる法を超越するかのごとく主張するこの父親が、本当に民主主義や法治国家を理解しているのかが疑問です。
加入を怠った場合のリスクの説明が十分ではないのに、いざとなれば「納めていない方が悪い」 と開き直る政府は、あまりに官僚的ではないでしょうか。
加入しなかった場合のリスクの認識が足りなかったことを棚に上げて、いざとなってから、「納めてなかったからといって貰えないのはおかしい」と言うことの方がよっぽどおかしいことは思わないのでしょうか。
開き直っているのは、この父親だと私は思いますが。
差別をしていないからこそ、当該障害者は加入障害者と区別されているのであり、同等になった時点で、法が情で動いたり、恣意的に解釈された時点で、差別になるということを理解して欲しいものです。
政府には「無年金者をゼロにする」 との方針を示してもらいたい。
加入者としての義務を履行した人、加入できない日本国籍保有者にとっては、当然のことで、現状でもゼロではないでしょうか?
加入者として義務を履行しないもの、日本国籍を有していないものは、もとより年金の対象者ではないことが厳しく区別された上で、しかるべき救済が行われることが重要で望ましいのではないでしょうか。
追記
この記事自体は2005/04/15更新とありましたが、この投稿はいつのものか分かりません。というのは、彼は文中で東京地裁の判決に言及していますが、2005/03/25に東京高裁でこの訴えは却下されたからです。
ただ、少なくとも朝日新聞愛媛版のこのページは東京高裁の判決以後に更新されているにも関わらず、原告敗訴の記述がないのはご覧のとおりであることを追記しておきます。
追記2(4/16)
コメント欄でてるさんから「ハートプラスの会」をご紹介頂きました。
身体に不自由があっても、外観からは判らないためにきつい思いをされている人が少なくないということを始めてしりました。非常に勉強になります。
コメント頂いたてるさん、それからてっちんさんどうもありがとうございました。
この場を借りて改めて御礼申し上げます。
こんばんは。たびたびコメントすいません。
私は生まれつきの心臓病で3級の障害者ですが、年金支払い免除にはなりません。(比較的元気だった20歳の時は免除されたのですが、体調が悪化した翌年以降、免除の申請をしても却下され続けましたし)
数ヶ月間働いてた時は厚生年金を払っていましたが、後は体を壊して働けない状態だったりで払っていませんでした。
今はサラリーマンの妻なので、第3号?扱いですが・・・
重い疾患を抱えながら働いて厚生年金に加入し払っている人もいます。
福祉課の方の裁量ひとつで、障害者年金の支給の有無が決定されるのです。
それに比べたら、この件の方はちょっと甘えが過ぎるな・・・と思います。
障害者手帳の交付条件だって厳しくなって、心臓に穴が開いてる程度では交付してもらえないと聞きました。
根強い偏見があるのはなにも精神障害だけじゃありません。内部障害の私だって親戚に「厄介者」と言われたりしたのです。
ちなみに私も現在30歳でしたが、強制加入ってこと、知ってましたよー。
by てる (2005-04-15 21:56)
てるさん、いらっしゃいませ。
コメントどうもありがとうございます。
>福祉課の方の裁量ひとつで、障害者年金の支給の有無が決定
そうなんですか。それはそれで問題ですね。
お互いに支えあうという気持ちは本当に大切だと思います。しかも、法で全てが解決するということはありません。だから、それを補うように救済システムが構築されることが重要であると思います。
ただ、今回の件は憲法解釈をあまりにも恣意的に変えようという意図がミエミエです。
問題なのは、差別されて不利益が発生したのか、区別された結果、不利益被ったのかということです。前者は問題外ですが、後者は区別までは法治という観点から合理的なものと考えねばなりません。その上で、しかるべき救済の手段が講じられることが重要だと私は考えています。
なるだけ、公平に書いたつもりでしたが、感情的に書いたところもあります。
私の記述で不快な思いをさせた部分はなかったでしょうか?
もしございましたら、ご指摘下さい。
by FD3S (2005-04-15 23:45)
改めて前回のエントリから読ませていただきました。
こういう訴えはどうにも感情的に判断しがちですが、管理人さまのように客観的に分析すると
「義務を怠りながらも権利だけは主張する」
ということなんですよね。
さも障害者だ外国人だということが制度の公平さを欠いていると感情に訴え、さも今の制度はなんて冷たいんだという方向にもっていく。ときには子供をダシにするなんてこともありますが。
こういう記事をみかけると、まっとうに働き、正直に税金をおさめている人間が一番不公平な扱いを受けているのではと思います。
義務を果たしているが故の権利を理解して欲しいものです。
by てっちん (2005-04-16 01:54)
いえいえ、全然不快じゃないですよー。FD3Sさんの考えはとても公平だと感じました。
むしろ、障害者だから、と特別視されるのは正直ウザイです。っと元気な私が言うのもなんですが。(^^;;
>福祉課の方の裁量ひとつで、障害者年金の支給の有無
昔は確実にそうだったのですが、今は違うのかもしれません。
今も昔も規定はありますが、なにしろ書類だけで審査するので、実情とはかけ離れた結果になったりするのはかわらないはず。
てっちんさんの仰る通りだと思います。
こういう、権利ばかり主張して義務を怠る人がいる結果、他の障害者達も同じような目で見られることになりかねません。と言うか見られてるかも。
障害者に限らず、「権利ばかり主張する」人が増えすぎですね。
参考までにこういうサイトもあります。
ハートプラスの会
http://www.normanet.ne.jp/~h-plus/
by てる (2005-04-16 08:49)
てっちんさん、いらっしゃいませ。
コメントどうもありがとうございます。
返事が遅くなりまして申し訳ありません。
>「義務を怠りながらも権利だけは主張する」
仰るように、法の下の平等とは、権利もさることながら、義務においても平等であるということが重要だと思います。
ですから社会的な弱者ということと、義務の免罪は同義ではないと思っています。
ただ、一面的に同じ義務を要求するということではなく、状況によって義務の軽減は必要だろうと思います。それで、共に生きていこうとすることが大切かなと。
市民団体等の主張には、往々にして区別を差別を曲解して感情論を前面に出すことが見受けられます。可哀想だという感情も過ぎれば侮辱であるということが分からないのでしょうね。
難しい問題で、実際の生活で交流や支援をしているわけではないのですが、できるだけ自分の身近な問題として考えていかなければならないなと思います。
>まっとうに働き、正直に税金をおさめている人間が一番不公平な扱いを受けているのではと思います。
そうですね(笑)。正直者がバカを見るようにならないことも法の下の平等を言う場合には重要なことなんですよね。
とにかく、ド左宇宙市民達の、自分達の目的のためなら手段を選ばない姿勢は糾していかねばなりません。そして、彼らによって穢された、本当に救済すべき人達、平和、教育等を、普通の国民(市民ではなく)の手に取り戻さねばなりません。
by FD3S (2005-04-16 21:57)
てるさん、いらっしゃませ。
コメントどうもありがとうございます。
返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
>いえいえ、全然不快じゃないですよー。FD3Sさんの考えはとても公平だと感じました。
良かったぁ。実はエントリを読み返して、感情的になっていないか気になっていたんです。そういって頂けると非常にうれしいです。
権利ばかりを主張する人達は、自分以外の誰かが義務を果たしている多くが支えあって生きているという認識や想像力が欠如しているのじゃないかなと思
います。その分、被害妄想に想像力を消費して。
義務は権利の対価であって、同じ義務を負担したら、同じ権利という商品を手に入れられるというのが公平なのかなと思います。
ただ、生きるために必要最低限の権利という商品を得るための対価としての義務を負担できない人には、相応の支援が必要なのは当然ですが。
だから、「生きるために必要最低限の権利」とは何かということと、負担した人としていない人との間お不公平感をどうして解消するかということを考えることが大切なのかなと思います。
ハートプラスの会のHP早速ブックマークに入れました。勉強になります。
ご紹介、どうもありがとうございました。
by FD3S (2005-04-16 22:08)